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『GS美神』私注:「GSの一番長い日!!」編(32巻)【再録】

あるいは、南極謎の爆発編。対アシュタロスで、美神とルシオラが共闘する一編である。

01 53 3
バベルの塔……!!」
 天(神)に届かんとするアシュタロスの野望の象徴。
01 15 1
「ベスパ! パピリオ!?/無事だったのか!? 殺されたんじゃないかと心配──」「黙れ、裏切り者!!」
 ベスパの【汗】は、いったんは横島と親和した彼女じしんの葛藤を、さりげなく表す(p16-5も同じ)。

02 31 2
「横島の気も知らねーで、調子こいてんじゃねーぞっ!!」
 登場当初から、雪之丞は横島への過大評価っぷりを前面に出していたキャラであるけれども、一面、いざ物語がシリアスに動きだすと、結局は雪之丞の横島評価も過大でもなんでもないことがわかるという逆転がそこにはあったりもします。してみると、シリアス面だけでいけば、雪之丞は小竜姫と同じく(位相はやや違うが)、結果的に横島を適正評価していることになるわけである。
 そんなわけで、横島の同伴成長キャラとしてはほかにピートやタイガーもいるのだけど、この場面で横島のパピリオたちへの気持ちを慮ったセリフをキッとした表情で言えるのは、まずは雪之丞が適任なのでした。
02 37 3
「…このいやらしい戦い方がおまえらの正義でちゅかっ!? やっぱり人間嫌いーっ!!」
 あいかわらずズラすのが好き。

03 54 1
「まった!! そーはいかないわ!!」
 いわゆる「大岡裂き」(『らんま1/2』)。

03 54 3
「……! 美神さん………!!」
 横島の【口】が開くのは、期待されてこの場に在ることを美神の言葉に感じ取るから。
 「この場にいていいのは戦士のみ!!」(21巻p29-5)(ワルキューレ → 横島)

 「素人が手を出したら無事じゃすまないわ。」「!」(31巻p61-2)(美神母 → 横島)
という「期待されてないわたし」というプロセスのあとに、この美神の言葉「横島クンは私たちの切り札──!!」は置くべきだろう。「わたし」、つまりはアイデンティティの問題である。
 しかもそれが、これまで横島を面と向かっては決して評価しなかった(できなかった)、美神の口から語られることは大きい。

 ちなみに「切り札」の語は、美神母の「横島クンだけが、そこをクリアする切り札を持ってる。」(31巻p104-3)という発言を直接は承けるが、美神母はあくまで、文珠を「切り札」と称したのに対して(もちろん彼女も横島をしっかりと評価しているのだけど)、ここでの美神は横島じしんを「切り札」と呼んでいる点も注意したい。
 その意味ではこの美神のセリフは、先の美神母の発言の直後、ルシオラのセリフ「ふだんは、どう見てもたいした奴には見えないのに───期待されると、あっというまに不可能なんかのりこえちゃう。まるでトランプのワイルド・カード!」(31巻p108-5)(横島じしん=「ワイルドカード」)にむしろ近い。

04 65 1
「おまえは私の作品だ。 私は「道具」を作ってきたつもりだったが──おまえは「作品」なのだよ。/このちがいがわかるか?」
 以降、「私もまた造物主に反旗をひるがえす者。 おまえは私の子供…私の分身なのだ。」(p68-1)と続く。一方で読者に、じゃあ三姉妹はどうなんか?という疑問を誘発させもするセリフであろう。4項目下を参照のこと。
 なおいうまでもないことだが、「デッド・ゾーン!!」編での菅原道真メフィストへのセリフ、「どのみち、おまえは使い捨ての働きバチにすぎんのだ。不良品は捨てる…それだけよ。」(22巻p119-2)を承けます。

06 102 1
「横島クン……!? 何やってんの、出力を──」「…………」「ヤ…ヤバい!? 横島クンの意識が…!!」
 「煩悩」で出力が高めたはずが、美神とのシンクロが進みすぎてうまくいかない。
 これを読み解くに、──まず、美神との「シンクロ」の「とろける」ほどの快楽が、横島に他のことなどどうでもよくさせてしまい、うまくいかない。
 「シンクロ」と「吸収」との相関関係がよくわからないのだが、35巻を念頭に置きながらいえば、霊力はシンクロさせても、互いの意識はしっかり別々に持っていないと、波長の同期→相乗とはならず、単なる波長の一致になってしまい、効果なし、ということになるのだろうか。

 さて、実際に合体するコマの描かれ方を見てもそうだけれども(p88~p89。男が後ろ、女は前)、この同期連係・合体は、セックスを暗に示していると読み換えられます。で、この一回めの試みは、「同期」という試みじたいに欠陥があって失敗したのではなく、横島が意識を失って出力を上げられないことが失敗の原因になって、アシュタロスに通用しない、という流れをとっている。この横島は、つまり早くて(「実戦でテンションが上がってるんだわ!」p94-3)失敗している。いみじくもルシオラは「初めてはみんなそーよ?」(31巻p35-4)なんて言ってましたが、横島の「成長」はまだまだ途上にあるのである。
 と同時に、美神のリードがうまくいっていないことでもあるのだけど。たぶん。

 さてそうすると、いくぶん先走りますが35巻の同期はどう読めるのか。少なくとも横島が意識を失うわけではないので、それを横島の成長(心の成長に伴う肉体の成長。……端的に言ってしまえば、経験を積んだことでセックスが上手くなっている)と見てよいと思われる。だが、そこからさらに、横島の力はオーバーフローしていく。横島が完全に主導権を握る(しかも美神は一切表れなくなる)。
 少年まんがをズラしてきたはずの『極楽』は、この瞬間、「少年まんが」的「少年」に望まれる「成長」の頂点へと達したことになる、と言えるのではないでしょうか。まて35巻。

06 108 1
「人間に生まれかわって──あいつとまた会って、 一緒にバカやってきて…… 楽しかったな…」
 この回想されるコマも『極楽亡者』。

06 110 2
「……… なんのマネだ? / ルシオラ……!」
 上にアシュタロスの「作品」発言を挙げたが、造物主に反旗を翻した者はじつはもう一人いる。それが誰あろう、ルシオラであった。ところが、ルシオラとアシュタロスの葛藤はなぜか描かれない。
 なお、メフィスト≒美神が反旗を翻したことについても、「作品」云々を説くアシュタロスは、なぜメフィストが反旗を翻したかについて、自分(クリエイター)との相似関係からしか見ていない。決して、翻させた主体である高島≒横島には目もくれていないのである。その横島に結局足もとをすくわれるのは、まったく道理なのでありました。
 アシュタロスの相似の論理は実は片手落ちである。むしろ、ベスパの方が事態を正確に把握しています(「──メフィストはあいつの前世のために裏切り──ルシオラも同じことを…!」p154-1)。

06 113 1
「私も一緒に──!! / 私… おまえが──」
びったーん!! 「ぶッ!?」
 よく足をつかまれる人です。
 とはいえ、つかんだ相手と共闘していくことになるのは同じ。

 さて、ルシオラの独走っぷりがステキなページですが、セリフの「一緒に」というのは、直前で死を覚悟した美神のセリフ、「(一緒に終わるのも、/悪くな──)」(p108-3)と対応している。しかしながら、口に出せるか、出せないかが、大きく違う点でありました。

06 114 1
「なーにがあんたのためよ!? これは私の因縁なのよ!! せめて三歩下がっとれ!!」
千年も昔のこと持ち出して正妻ヅラしないでよっ!! 年増ババァ!!」
  「あんた今、なんのために闘ってるかわかってんの!?」「誰、あんたは!? 彼は今、私のために──」(31巻p109-3)でもそうだったが、アシュタロス対横島を軸に、美神(/メフィスト)とルシオラとの、対応関係が示されていきます。

06 118 1
「──!」
 いまだかつて果敢に美神のほっぺたをつかみにいった女性キャラがいたろうか。

07 133 3
「アシュタロス……… パワーにパワーで対抗しようなんて─── 俺たちみんなバカだったよ。」
 単純に【片目隠れ】がかっちょいい。
 パワーでは圧倒的に勝る相手に知力を尽くして勝つ、というのは、これも単純に、燃えます。

07 135 1
「!!」
「アドバイスどーもっ!! 「能力をコピーしたまま逃げられると面倒だ」って今思ったでしょ!? あんた、頭もいーなッ!!」
 この構図、のちに
「「両手に花」が俺の好みだしっ!!」([ジャッジメント・デイ!![その8]]34巻p110)
というように、「両手に花」状態。

08 146 4
「…………」
「アシュ…様。」
 アシュタロスのいう通り、メフィストの反逆がアシュタロス自身の反逆の、作品としての具現だとすると、ではこのベスパはどうなのか。
 ベスパが反逆するわけではないが、かといって、ベスパのアシュタロスへの奉仕・服従は単純なものではない。このコマの少し前、「私、決めました! アシュ様が何をなさろうが──最後まで見届けます!」(p146-1)というベスパのセリフを見れば、それは明らかだろう。この発言からは、意志のいかんによってはアシュタロスに服従しない余地もあることが逆にわかる(もちろん「10の指令」の規制はあるのだけども)。そこを寄り添っていこうとするのは、単に部下だからというのではない、アシュタロスへの情愛があるからだ。
 そうすると、アシュタロスが抱えてしまった、魔族にふさわしからぬ優しさ・愛おしみが、変則的なかたちで、ベスパに体現されているともいえる。ベスパもまた、「道具」ではなく「作品」なのである。アシュタロスのこのコマの表情は、その内心をさまざまなかたちで読者に推し量らせるものだが、ベスパへの愛おしみとともに、いま述べたような、ベスパに体現された魔族にふさわしからぬ自己像にまで見据えその皮肉を感じて、見せる穏やかな表情なのではないか、とわたくしは読む。


(2000/10/27。03/08/17新訂。20/11/28再録、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)による

『GS美神私注』:「ザ・ライト・スタッフ!!」編その他(31巻)【再録】

あるいは、横島自立編。美神が自分とは無関係に成長する横島に違和感を感じていく一編である。

■「ザ・ライト・スタッフ!!」
01 44 3
ズビュウウウッ
 【眼のアップ】と、そのなかに映る、相手の姿。
 これは、「ワン・フロム・ザ・ハート!!」編、ルシオラの「な…」というルシオラの眼のアップ(p36-1)と(ムリヤリにでも)対比させて、読んでおきたいところです。

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 ルシオラの眼のなかには横島がいる。美神の眼のなかには、敵がいるだけで、横島はいない。当たり前といえば当たり前なんですけども。このことを図式化すれば、
横島 → ⇔ ルシオラ  (横島の方から<関係>を求めて、お互いに向き合う)
  ※この場合の<関係>=「アシュタロスを倒す」という約束を交わすこと。
そしてルシオラは、横島が向き合うことを求めたのに対し、それを受け容れる。
 では、美神は?
敵 → ⇔ 美神  (敵(≒美智恵)の方から<関係>を求めて、お互いに向き合う)
  ※この場合の<関係>=戦うこと(≒パワーアップすること)。
 が、美神は、自分からパワーアップを求めてるわけではない。美神が、母・美智恵に対して求めている<関係>は、(私…がんばってるじゃない…!!)(p48-4)ということを認めてもらうことなのであった。

 少なからず、親子の<葛藤>というのもテーマになりかかってるのかと思わされます。が、なりかかりつつも、今後にはさほどの発展は見ない。
 このあたり、わたくしの見たところ、美神の<内面>に光を当てようとする伏線がいろいろ張りめぐらされている向きがある。親子の<葛藤>もそう。ルシオラ登場も、内容的には、美神に横島との関係を見直させるために奉仕するはずのものだったと想定されますが、物語はそちらに発展していきません。あまりにルシオラ(をめぐる物語)が魅力的すぎたからか?

 さらに、横島、美神、ルシオラをめぐる【目(視線)】については、形はちがいますが、p188~189で、ルシオラを見る横島(横島 → ルシオラ)と、横島を見る美神(美神 → 横島)とにズレが示されている(後述)。

01 53 3
ばんっ 「横島クン!?」
 嬉しそうな表情。
 次のコマでは【集中線】で横島をコマの中心に据える。美神の視線に即した映像と見える(西条はワク外に切れている(!))。ところが、

01 54 1
「………/ただいま──!」
 横島の反応は、美神が予想していたものとはちがう。
 おキヌが次ページで「なんか…感じが…落ちついたってゆーか…」というような横島の変貌に、美神はまず、思わず魅入ってしまい(美神の顔に入れられた【斜線】でわかる)、言葉を失ってしまう。おキヌはいちおう言葉で表すことができるのに、美神が表すべき言葉を持てない、というのは、それだけ美神の驚きが大きいことを示している。
 言い換えれば、おキヌより美神の方が、横島が変わらないことを強く求めていることを表していましょう。言葉を失ってしまう、とは、それだけ感じた違和感が強いということだから。

 これとかかわるけども、横島の変貌に、魅入るだけではなく、一方でとまどい苛立つ美神の姿も、このあと見えてくる。西条を連れて酒を飲む場面、「…おかしいわよ、絶対! なーんかあったにちがいないわ!」(p63-3)などがそれだ。
 彼女にとって重要なのは、変貌そのものじゃなく、変貌の理由(=ルシオラの存在)が、自分と関わりの見えないところであったらしく・またそれがわからないからであろう。
 そういった、横島のまつわる物事に自分が関与(ひいては管理)してないと気が済まないというクッセツした愛情は、「…私が問題にしたいのは…/あんたが私のゆーこときかないってことなのよっ!!」「結局、本音はそこですかっ!!」(誰が為に鐘は鳴る!!」編、11巻p10-1)なんてところでも見受けられました。
 クッセツした愛情、といちおう定義づけておいたけども、あるいは、自分のあずかり知らない何らかの事象が原因で世界が成り立っていくのを許せない性格。

   ○    ○    ○    ○

 「ただいま」というのは、これまでの横島からは考えられない反応だった。美神にとって考えられる反応というのは、before→after(p64-1,2)でいう「before」が示してるような反応である。
 「before」のコマ(「デッド・ゾーン!!」編23巻p19-2)の次のコマを見ると、横島は「怖かったよーっ 怖かったよーっ」と言ってる。このとき、胸をさわってしまう→いつもどおりギャグに回収されるのだけども、それはともかく、つまりは、危機的状況において横島は美神にすがろうとしているといえる。まるで子どもが母(≒胸、乳房)にすがるように。
 が、「ライト・スタッフ!!」編では、横島は、「怖かったよーっ」と飛びつかず、「ただいま」という。美神の庇護を離れるような印象。そういう横島の<自立>(?)は、同時に、美神に違和感とかたちにならぬ苛立ちを何となく覚えさせるのであった。

01 54 2
「──!?」どき.「お…おかえり。」
 美神のコマは横島のコマの大きさに気圧される。つまり、コマのかたちの相対関係が、登場人物の心理の相対関係の喩となっているのである。
 あんまり【変形コマ】を用いないまんがではあるが、必然性があれば【変形ゴマ】も用いられるのでありました。

02 62 2
「そりゃ、美神さんにまだぜんぜん及ばないにしても、」
 伏線。横島「思いなし」理論も思い出されます。

02 68 2
「限界を超えるには、一度私をぶっこわす必要があるわ。ママは、追いつめられた私があらゆる抑圧や理性から解放されるのを待ってるんでしょ?」
 『ドラゴンボール』終盤、セルとの最終決戦を控え、悟飯が理性を解放することを目論む悟空なんかを思い出す。どちらも親子だし。しかもどちらも失敗してるし。
 ちなみに、何かと批判の多い『ドラゴンボール』後半ですが、悟空のこの目論みを理解し、かつその失敗を見通すのが、悟飯のもう一人の「親」、ピッコロであるのはむちゃくちゃいい。あのあたりは、『ドラゴンボール』後半の白眉です。

02 74 3
「何かって……!?」 ぴくっ
 「ぴくっ」というのは美神がほかの女性と横島との関係に嫉妬の感情を起こすときのキーワード(たとえばおキヌ復帰後23巻p112-2。「ぴしっ」というのもある)。

02 75 1
「くそおおおッ!!」
 この周辺の横島の、【おちゃらけ目】⇔【マジ目】の使い分け(反復)はうまい。

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 個人的には、【おちゃらけ目】の多用はけっこう引くけども(そんなことしなくてもギャグがおもしろければそれでいいじゃん、と思うから)。【マジ目】を引き立たせる意味で用いられるときは良い。
 だから、同じ『極楽』でも、アシュ編戦後の【おちゃらけ目】多用は、ちょっと好みではなく、このようなやたらな多用をみても、もはや<シリアス⇔ギャグ>という特性をなかなか成立させがたくなってしまうアシュ戦後、という性格が見てとられる。この件については、「アシュ戦後における<ルシオラの呪縛>」として、後述することにします。

03 77 1
 トビラ、「極楽亡者」の1ページめ(1巻p161)とリンクする。
 『極楽大作戦』ではなく、読切「極楽亡者」での関係が強調されるということは、おキヌが疎外されていることでもある。

03 85 1
ルシオラ…!/ちゃんとおめーに、見る目があったこと証明してやるぜ!!」
 「おめー」という呼称を、やっと横島はルシオラにいうことができる。参照、30巻p190-2。

04 98 1
「俺にしちゃ、上出来だよな………! ニセモノとはいえ、美神さんに───/ヒキワケ──ぶッ。」
 やはり、横島の「思いなし」(先述)。美神と対決する横島に関しては、[はるかなる猫の呼び声!!](15巻)での直接対決シーンをなぞるものとして読める。

 

[ザ・ライトスタッフ!!] [はるかなる猫の呼び声!!]
p81-4 p171-1
p81-5(「あの──美神…さん?」キンッ) p171-2,3(「あのね、こいつら妖怪だけどそう悪い奴じゃ…」キンッ)
p82-1(「わ──ッ!!」ビシィッ) pp174-3(「バカたれ──!!」「わ゛──っ!!」)

 ここにはズレが生じている。[はるかなる…]が、 「横島クンの思考パターンなんか全部お見通しよ!」(p170-2)、「本気でやりあっちゃったけど… お…俺はなんてことを…」「「本気で」…?/この…」(p174-1)と、美神の方が一枚上手で、本気の横島、わざと負ける美神という関係だったのに対し、ここでは、関係が逆転しているのである。構図の反復に横島の成長が見いだせる結構。

04 100 3
 そっ/「──いつのまに、そんなに強くなっちゃったの?/横島クン……!」
 横島が【白目】になったときだけ、横島と向き合える美神。

04 108 2
「………/おまえって不思議な奴ね。/ふだんは、どう見てもたいした奴には見えないのに───期待されると、あっというまに不可能なんかのりこえちゃう。まるでトランプのワイルド・カード!/本当に必要なとき、おまえは力を発揮するんだから…!」
 シリアス⇔ギャグ往還型少年まんがにおける、主人公の王道。ピグマリオン効果

04 109 1
「「俺にホレろ」って言ったクセに………!!/なんなの、その女は!?」「え…? えーと、…誰?」「あんた今、なんのために闘ってるかわかってんの!?」「誰、あんたは!? 彼は今、私のために──」
 横島をとりあう二人の魔族。前哨戦みたいなもんです。とはいえ、このアシュ編を通じて、横島は「なんのために戦う」のかは、これまでとはちがった意味あいを含むことがここにして早くも示されます。

 ■「激突!!」
01 122 1
「私の犠牲が必要なら、頭下げて「すいません、強くなっていただけますか」とゆーのがスジでしょっ!?」「あ、あのね──」
 この「私注」は、基本的にアシュ編では美神にカラいが、こういうセリフは美神の本領発揮って感じで、ほんとに良い。

01 130 3
「処分したよ。必要なくなった道具を、君はどうする? 当然だろ?」
 「処分した」というセリフにキレる横島。

 後の展開からいえば、実際は三姉妹は「必要なくなった道具」のように「処分」されたわけではないことがわかるので(とはいえ連載当時も、これでルシオラたちが二度と登場しないだろうとは思わなかったが)、このアシュタロスの言葉を矛盾ととる向きもあるけれども、矛盾ととらない解釈の可能性もある。

 アシュタロス側の美神陣営への接触の目的は、美神を直接南極に呼び寄せるところにある。そのために最も重要なのは、じつはベスパが美智恵を刺すことなのである。
 アシュタロスにとって、この一点は踏み外してはならない最優先課題といえる。そうすると、全てのアシュタロスの行為・言動は、ベスパの接近を隠すためのオトリという側面をもっているととることができる(例えば、「もうあいつらは来ないから、安心してくれ。」p129-3)。アシュタロス側には、ある一貫したオペレーションが存在していると見るのが妥当だ。ならば、このアシュタロスの「処分」発言も、そのオペレーションを補完する意味を見ていい。

02 144 4
(もう二度と──)「お願い!! 言うとおりにして!!」(奴にあんたを奪われたくないのよ…!!)
 【集中線】のフキダシは、前世のメフィストの言葉を示す。一瞬立ち現れる前世。
 ここからさかのぼれば、少しまえ、アシュタロスと接触した横島のコマ、「(知ってる……! 俺はこいつを知ってる…!!)(なんだ…!? 見たことのない奴なのに──)」(p116-3)にみえる、やはり【集中線】で示された心内語は、前世の高島のものと読める。【集中線】の心内語=前世の語りかけ、と見なすことのできることにおいて、この二つのコマは構図上リンクしていると考えられよう。

02 150 2
「…ここへ来る前にいろいろ調べたんだがね、どうやら君は、五年前に死んでいるそうじゃないか。/葬式に出した死体は、死後どれくらい保存されていたものだったのだろうね? 歴史を変えてみたくはないかい? 美神令子君。」「!!」
 このアシュタロスの発言は難解とされてきた。直接この発言をうけるような場面が後には見つけられないからである。
 時間移動がからむことも問題をやっかいにしている。わたくしは、物語全体における時間移動の統一的解釈については棚上げする立場をとりますが(注1)、このアシュタロスの発言について、アシュ編にかぎってなら、物語の展開に積極的に関わらせる解釈が可能なのでは、と考えます(注2)。

 アシュ編における、美神母・美智恵と時間移動に関するセリフとしては、
(1)「おそらくこれが私には最後の時間移動になります。事件解決まであなた方と行動するつもりです。」「!」/「ママ…/ひょっとして今のママって私が中学生のときの──!?」 (「続・仁義なき戦い!!」30巻p77-2)

(2)「過去に戻った私は、関係者との連絡は一切断ちます。表向きは死んだことにして──/今日が来る日まで五年間、行方をくらませて沈黙──約束は守るわ。」[…略…]「そーねえ…パパのところにいるわ。」[…略…]「ちょ、ちょっと待って!? これって…ひょっとして最初からそーゆうことだったとか…」「…その可能性は高いかもしれないわね──」/「じゃ、何!? ママはずっとパパのとこで死んだフリしてたわけ!?」 (「エピローグ:長いお別れ」35巻p140-1)
の二つが挙げられる。
 ここから、ある語られざる場面が妙に気になりはじめないだろうか。すなわち、美神母の葬式である。この葬式はアシュタロスの発言に関わるキーにもなる。
 葬式の状況を想定してみたい。(2)での美神の反応(「せめてあやまれ──ッ!!」)、また、13巻「母からの伝言!!」で示されてきた、父・公彦への美神の疎遠さからして、<公彦によって中学生の美神には美智恵の死因が秘された>という可能性を仮定できないだろうか。
 中学生の美神は、美智恵の死と葬式に対して、その事情に対する不審と、同時に公彦に対して不信を抱かざるをえなかった。(1)は、美智恵の出現によって、かつて美神が抱いたはずの不信に瞬間的に直結されたゆえの表情ととれる。しかし美智恵は事情をはぐらかしてしまう(これは、この段階の美智恵自身、自分が時間移動してしまったあとの、5年前~現在の世界の状況を知らないからと思われる)。美神の不審は解決されない。

 さて、アシュタロスの「保存されていた死体」云々の話は、美神(と読者)に、葬式が実際の死からずいぶん遅れてなされた可能性を示唆する。だが、ここでアシュタロスが葬式の遅れた真相を知っているかいないかは、実は問題ではない(おそらく知らないだろう)。アシュタロスにとっては、美神を南極に直接赴かせることが重要なのであって(前々項参照)、この発言はそのために作用していると考えるべきだ。そしてじっさい、美神の気をひくのに十分な語り口となっているのである。美智恵の死と葬式の謎、またそれにまつわる不審と不信を解きたい美神の欲求を刺激するのに十分な語り口なのである。

 が、真相を知らないとはいえ、アシュタロスの発言じたいは、全く根拠や確信のないものというわけでもない、と思われる。アシュタロスが、美智恵の死に疑問を抱いているのは確かだけれど(「…ここに来る前にいろいろ調べたんだがね、/どうやら君は五年前に死んでいるそうじゃないか。」p150-2)、では、何を調べたのか。そこまで疑問はふくらんでしまいます。
 で、アシュタロスは美智恵の墓を荒らしたのではないか、とまでわたくしは想像をたくましくしたい。そして墓には死体はなかったはずなのだ。その場合、アシュタロスが、この墓荒らしによって美智恵の死の真相に大きく疑問を抱いたことはまちがいない。おそらくはアシュタロスも答えは出ていないと思うが、そういう段階を踏んでいたゆえに、アシュタロスは美神にもっともらしいカマをかけられるのではないだろうか。

 アシュタロスの言うとおり、美智恵の「死」と葬式との間には不自然なズレがあったと見たい。カマかけが成り立つためには、カマをかける方の語り口にもっともらしさが必要であるとともに、カマをかけられる方にもかけられるだけの思い当たるフシがなければならないからである。つまり、美神自身、そのズレに不審と不信を抱いていたはずなのである。
 このズレの真相は何か。仮定に仮定を重ねるが、美智恵が五年前に現在へ時間移動したのが「死」として周囲には説明されたのだろう。12巻から推測すれば、雷が落ちて美智恵に直撃し、死体が消失したととるのが妥当だ。そして、美神自身はその事情はわからなかった(12巻「母からの伝言!!」で初めて美神は美智恵が能力者であるのを知る(p18,19)。美智恵が幼いうちは能力者であることを隠しておこうとしたからだろうと推定される(p45-3))。
 だが、葬式には遺骸がなぜかあった。35巻で時間移動して5年前に戻った美智恵が公彦と共謀した茶番である(美智恵も、消失したその日ジャストには戻れなかったと見ておく。それ以外に、消失した日と葬式の日のズレを説明できる理由がない)。美智恵消失から葬式までどれくらいの日数が経ていたかは不明だが、おそらく不自然なくらいには時間が経っていたと思われる。とうぜんこの死体はにせものであろう。美智恵自体が遺骸を演じていたかもしれないし、人形(ひとかた)を使ったかもしれない。とにかく、美神にしてみれば、死後日数が経っているにしては不自然な状態だった。

 どうせ想像をはたらかせるならこの辺まではたらかせてみてもいいのではないでしょうか。とはいえ、この想像でも重要な点──美智恵は、なぜ現在に時間移動したのかという理由については解決しがたい。
 「事態を知った私は本部にかけあい、猶予を要請しました。私が指揮すればアシュタロスの調伏が可能だと説得したのです。/最悪の場合、私自らの手で娘を殺すという条件でね。」(本話、p120-1)と言っているが、いつどこで「事情を知った」のだろうか。不審としておく。

注1 『美神』における時間移動問題については、夏のこたつ氏「『GS美神極楽大作戦!!』における時間移動の扱い」(『紙の砦!!』3、1999・8)、井汲景太氏「時間移動能力に関する疑問と検証」(『紙の砦!!』4、1999・12)にまとまった指摘がある。どちらも単なる帰納ではなく、場面場面の確かな<読み>に支えられ、また<読み>そのものを豊かにしようという姿勢がいい。

注2 以下の考察は、アシュ編終了後までを読んだうえでの逆算から成り立たせた<読み>であることをお断りしておく。連載当時、この発言が作者のどのような意図によってなされたかはわからない。もしかしたら別の展開の可能性があったのかもしれない。が、何度も繰り返すように「私注」は、「作者」の意図を極力排する姿勢で読む試みなのでご諒承を。

 

■「そして船は行く!!」
01 168 3
ぽてっ 「…そのホタル、なんかやたら横島さんにくっつきますねー。」
 そういうことに気づけるのが、おキヌなのであった。
 みなアシュタロスが置いていっていった道案内の使い魔ぐらいにしか見ていないこのホタルに、無意識のうちに<女>を感じ、気にする。──横島のことをよく見ている。

02 189 2
「すぐそばにいたのに。俺… 気づいてやれなかった………!」「あんた… そのルシオラって娘のこと──」「……… すんません………!」
 p188-3,4,5からの流れであるが、上でも触れたように、

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美神の【視線】に対し、横島はこの2ページでは向き合わない。そのズレ。

02 190 1
「スケベなあんたは女のために──/そして私は──/ママを救うため……」
 横島とルシオラの関係を「横島のスケベ」というカテゴリーに収斂させて理解しようとする美神。30巻p172参照。

 

(2000/08/26。2001/07/02改訂。03/08/17新訂。20/11/27再録、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による

『GS美神』私注:「ワン・フロム・ザ・ハート!!」編  (30、31巻)【再録】

あるいは、横島決断編。ルシオラが一躍ヒロインになってしまった決定的な一編である。
01 187 4
「南米で最初の基地を作ったとき、骨と一緒に金が出てきたのよ。」
 「私を月まで連れてって!!」編の回収。

01 188 2
(そういうつもりで──!?)
 前のページ、P187-1,2,5,6では、ルシオラが無表情に描かれている(とくに【目】の描写にその印象が強い)。

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横島の落ち着かない表情とは対照的でして、読者も横島も、この無表情によるかぎりは、ルシオラの胸中をはかりかねるわけです。
 けれどもこのコマでルシオラの胸中を横島(と読者)は知る。ならば、前のルシオラの無表情は、作品レベルではこのコマの横島の驚きを逆に強調するための表現であったこと、また登場人物レベルではルシオラもまたどういう表情をしたらいいかわからなかったようであったことが読みとれます。

 相手が自分より優位に立っているように見えて、しかし、相手も、その内心では自分と同じように悩み、また緊張感に堪えかねていたということがわかる瞬間。

01 190 2
「本気で、言ってくれてるの?」
 「本気で言ってるの?」じゃなくて、「言ってくれてるの?」に注意。
 前の項とも絡みますが、この段階での横島の認識としては、自分たちの関係は、

  ルシオラ > 横島

です。これは単純に力関係にひきずられてでもあるし(たとえば「あの手でいつでも俺をブッ殺せるんだ、あの女は……!!」30巻P91-2)、また、ルシオラの真意をはかりかねている面があるからでもありましょう。
 けれども、ルシオラ自身はそう思っていない。力の強弱なんて問題にしていないわけです。「~してくれる」というのは「わざわざ~する」というニュアンスを含む。「(本来ならそうしなくてもいいところを)自分のためにわざわざ~してもらっていいのか」というこうしたルシオラのセリフからも、ルシオラの認識としては、

  ルシオラ < 横島

という関係になっていることがうかがえるわけです。

 さて、このことは、いっけんうらやましいように映るかもしれないけれども、一般論的にいって、そういうことが男にとってはときとしてあまりに重い場合があります。
 そして横島にとっても、横島なりの重さを背負ってしまう。そう、「でもよ…!/死んでもいいくらい俺が好きなんて…/ひと晩とひきかえに、命を捨てるなんて…/そんな女抱けるかよッ!! 俺にそんな値打ちなんかねえよッ!!」と。
 ことここに至っては、ルシオラの認識が、  ルシオラ << 横島  というところにまである、と横島には感じられるからである。その期待につりあうように、横島はふるまっていくことになります。

  ○    ○    ○    ○

 横島をめぐる不等号について、もうちょっと書き連ねれば、いくらかここでも触れてきたところだけれど、横島はいろんな女性に飽くなきちょっかいを出しているわけです。その現象だけ見れば、

  女性 < 横島

と考えられる。
 んが、横島は同時に、無意識にでも、ツッコミを待っている。それは例えば、「スタンド・バイ・ミー!!」編の冒頭、美神の入浴をのぞいても何もツッコまれなかったことにとまどう横島の姿から逆に読みとることができる。そうであるならば、現象に反して心理的には、

  女性 > 横島

という不等号を横島は求めていることになる。
 これが成り立たないシチュエーションでも、横島はむりにでもこの不等号がなりたつよう思いなしていくことになっていることは既に見ました(24巻p166-5)。『極楽』中期以降の横島の女性との<関係>はそうやって成り立っている。
 ところが、ここでのルシオラはそうではない。ツッコミがあるかぎり、横島は「安全地帯」(『MISTERジパング』)にいられたのに、ルシオラはツッコまず、ここではっきりと横島は心理的な安全地帯から出ることを求められます(小鳩やおキヌもこの<関係>を揺るがしつつはあったのですが)。横島がこれまで求めてきた不等号関係とまったく正反対の不等号関係をルシオラは求めているわけです。「俺にそんな値打ちなんかねえよッ!!」と叫ぶ横島には、そのとまどいを見てとってもいいはずでしょう。
 とまどいながら、横島はどうふるまうか。ここにおいて横島は、ルシオラの<期待>する不等号関係に、せめて等号関係ぐらいまでに、つりあおうとする。それが、「アシュタロスは───俺が倒す!!」という唐突な決意表明でありましょう。これは、あまりに大それた発言のように思えるけども、その裏側に、横島のつりあおうという心理を補助線として読み込んでいいはずです。

 ちなみに、不等号をめぐる問題は、<呼称>からも見てとることができる。横島はルシオラをこの編では、いまだ「あんた」としか呼べません(たとえば「奴さえ倒せば、あんたも──ベスパもパビリオも自由だ!」31巻p38-1など)。
 しかしながら、次の編(31巻p85-1)に至ると、親愛のニュアンスを含めた、「おまえ」という呼称によってルシオラを呼ぶ横島を確認することができます。この変化は、前の編で触れた、ルシオラによる横島の呼称の変化(「ポチ」→「ヨコシマ」)と対応しています。

01 190 3
「マジ、マジ!! 美神さん最近露出足りんし出番減ってるし!! 美少女キャラ大歓迎!!」
 「作者」や「編集長」はおいてといて、──横島は、ほんとは覚悟なしにこんなセリフをはいちゃいけなかったのかもしれない。横島は自分を取り巻く三者一体環境の強固さに自分では気づいていない。
 「とにかく………!! な!?」というのが、横島の優しさに端を発しているだけに、いま思うとつらい。
 <優しさ>がそのまま<恋>や<愛情>に結びつくかどうかといったら、古今東西難しいわけで。そして往々にして<優しさ>と<恋>の違いにさえ気づかないことだっていくらでもあるわけで。そしてまた、同時に横島は「こ…こんなに!! こんなにあっさり!! 女のコとうまくいったの初めてだ!!」なんても思ってる。

 言い換えてみよう。

 <優しさ>がはからずも相手を引きつけ、しかし相手の想いの深さに気づかず、またとまどい、でも自分たちは<恋>をしていると思い、また一方でうまくいくとかいかないとかというようなレベルで案外<恋>を理解したつもりになっている。

 そうすると、これのどこがわたくしたちの経てきた<恋>と違うのだろう。横島=「煩悩少年」であることに目を奪われがちですが、横島とルシオラの<恋>は、横島の特異なパーソナリティに還元させる性格のものではなく、普遍的な<青春のにがい恋>として描かれようとしているのであろうとわたくしは思います。

01 193 2
ぷしッ
 そりゃおどろくわな。

02 21 2
「コードに触れる行動をとれば、その場で消滅しちまうんだよ!?/人間とヤれば、コード7に触れる…!! それでもあんた、ヤる気!?」「ヤるなんて下品な言葉使わないでくれる!?」
 『旧約聖書』「出エジプト記」20章、モーゼの「十戒」(Ten Commandments)。映画でも有名なセリフ、「七。汝、姦淫するなかれ。」
 『c-www』「元ネタ大作戦」への投稿、「No.336」(尉雄氏)にて、数字の「七」の一致まで先に言いあてられた。以下、引用。

やれやれ。アシュタロスの神様ごっこも ほんと病膏肓って感じですな。

引用終わり。この読みは慧眼。

03 35 1
「でもよ…!/死んでもいいくらい俺が好きなんて…/ひと晩とひきかえに、命を捨てるなんて…/そんな女抱けるかよッ!! 俺にそんな値打ちなんかねえよッ!!」
 p190-2(4項目上)参照。

03 35 5
「でも、約束する!!/アシュタロスは───俺が倒す!!」
 同上。

03 38 1
「奴さえ倒せば、あんたも──ベスパもパビリオも自由だ!/そのあと必ず、寿命のこともなんとかしてやる!/俺にホレたんなら、信じろ!!」
「今までずっと、化け物と闘うのはほかの誰かで、/俺はいつも巻きこまれて手伝ってきたけど…/でも今回は、俺が闘う!!」
 「やりたいだけで」アシュタロス打倒を約束してしまっているように、ルシオラも言うし、横島も次ページで「煩悩」とか言ってるわけですが、そういう動機だけではなく、やっぱり三人に自由になってほしいという動機がまず横島にあることを見逃してはなりますまい。
 アシュタロスの支配から自由になれば「ヤれる」わけだから、結局は目的はそこにあるように思われるが、それなら横島がベスパやパビリオを持ち出す必要はないわけです。<優しさ>と<煩悩>、どちらが優位というわけではなく、横島のなかでは併存している点が重要でありましょう。

 そして、横島は、美神にも、またおキヌにもよるのではなく、初めて自ら決断する(21巻p38-4参照)。

 で、ルシオラは?

 「少年まんが」を徹底的にズラそうとしてきた『極楽』が、それゆえにこれまで拒否してきたはずの<少年まんがに求められるべき理想的ヒロイン像>の要素を、多少の変形は施されつつも、今になってなぜか一身に背負わされて30巻で彼女は出現した(29巻で、ではない)。10代の少年の読者を求心する力に満ちたキャラであることはまちがいありません。
 その在り方は、物語のなかであまりに突出しており、横島に<少年まんがに求められるべきヒーロー像>としてのふるまいを要求さえしてしまう。
 <物語>のなかで彼女はいびつすぎる。ミュータントといっても、フリークスといってもいいのだが、<物語>は生み出してしまったこの<いびつさ>と、これから5巻分をかけて対決していく。ぎりぎりのバランスで。または、──この<いびつさ>は、<物語>と5巻分をかけて、絶望的な予感をつねに抱かせながら、対決していかなければならなくなっていく。


01 174 1
ワン・フロム・ザ・ハート!!
 元ネタは映画のタイトル。「ワン・フロム・ザ・ハート」。何を「心から」なのか。横島はこの編の最後にこう言ったのを既に見た。
「でも、約束する!!/アシュタロスは──/俺が倒す!!」
 けれど、横島の「約束する」は、アシュタロスを倒すことをである。
 ここから先、横島からルシオラへ想いを伝えるような場面は描かれない。そもそも、横島がルシオラのことを、ルシオラが横島のことをそうであったように恋していたのかどうかは、わからない(いや、わたくしたちはほんとはわかってる。「甘い生活!!」編はそのへんの機微を残酷なくらいに描ききった編なのである。またそのことは後に触れることになりましょう)。だけど、横島じしんはそれに気づいていない。一般論的に言ってもいいのだけれど、相手の想いに触発されて自分も「熱く」なって、そしてそのことを、そのときにおいては「恋」だと疑わなかったとしても、思い返すと自分が抱いていた想いが本当に「恋」だったかどうかは、わからないものなのだ。
 もう少しゆっくり、二人の「恋」を追っていこう。ただ、予見的に言っておけば、ルシオラの死ということの重さをあえて無視して、横島の立場から限定的にみれば、この物語は横島の、にがすぎる<青春の恋>の物語になる。アシュ編は、<横島成長譚>の正確な意味での終着点にほかならない。

 (2000/08/13。2001/06/26改訂。03/08/17新訂、20/11/25再録、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による。

『GS美神』私注:「仁義なき戦い!!」各編(29、30巻)【再録】

あるいは、対アシュタロス戦本格始動編。この回より、土偶羅、及びルシオラ・ベスパ・パピリオ三姉妹が登場。GSチームの指揮をとるために美智恵が登場。

■「仁義なき戦い!!」
01 122 2
「霊力の強目のがいたんでちゅ! 調べてみようと思って…」「ふ…ん。」「なるほど?」
 いまだ物議を醸し続ける、三姉妹初揃い踏みのコマ。むろんルシオラの顔が、これ以後とぜんぜんちがうからである。
 ベスパ・パビリオはそののちにもほとんど造型が変わらないのに、ルシオラだけはどんどんかわいくなっていくというのは、逆に彼女の位置づけの変化を考える足がかりともなりましょう。

01 126 3
ズン.「!!」「?」
 霊圧に、この医者は気づかないのに、ほかはみな気づく。そして横島もまた。[サバイバルの館!!]23巻p179-1の項を参照されたい。

02 133 3
(どうする……!? とっさに霊力を抑えたから、まだ正体はバレてない! でも戦えばいくらなんでも気づかれちゃう──!)
 [スタンド・バイ・ミー]編では、美神の強い「霊能力」のせいで霊団に美神(+おキヌ)の位置がわかってしまう、とあった。つまり、その段階では霊力を抑える技術は当時はなかったわけである。深読みすれば、その一件を反省して、美神は霊力を抑える技術を会得して現在に至るのだ、と読める。

 霊力を「抑える」という表現からは即、鳥山明ドラゴンボール』(「気を抑える」)が思い出されよう。
 サイヤ人編やフリーザ編のカラクリの一つとして、力ではぜったいに勝てない相手に地球人が唯一優位に立てるのが、気をコントロールする技術である、ということがある。で、それはかなりおもしろかったようには思う。力に技術で対抗するとは、西欧人に対する日本人みたいだ。クリリンなんてまさにそうで。実は地球人で一番強い彼は、「技のデパート」の名にふさわしい。気円斬とか。または自分で舞空術を身につけてしまっていたり。
 『極楽』もやはり、絶大的な力を持つ敵に対して「技術」で対抗するのですが──その「技術」が、金とかヒキョーな手とかであるところにこの作品の白眉があるのであった。
 ともあれ、アシュ編は、どうも『ドラゴンボール』をにおわせて始発する。

02 139 3
「…調べるまでもないわね。霊力はせいぜい2~3マイト。」
 出会いのセリフはこんなものだった。ま、そんなものだ。
02 142 1
「おどろいた……!今の、絶対零度近く下がったわよ!」「一瞬だけど霊力にして300マイト近くはあったね。」
 「バカなっ!!! 戦闘力があがっていく!!! 戦闘力924…!!!/こいつ…!! 戦闘力を一点に集中させてたかめることができるのか…!!!」(『ドラゴンボール』17巻p127)。

 絶対零度に関しては、80年代『ジャンプ』世代としてはキグナス氷河がなつかしい。

02 142 4
「よしっ!! 今日からおまえの名前は「ポチ」でちゅっ!!」「えっ。」
 名前をつけるとは所有するということとほぼ同義。

03 168 3
 「よーし、それじゃメカ戦だ──ッ!!」「今週のびっくりどっきりメカ──!!」「ネ、ネタが古いわよ、パビリオ!」
 言わずとしれた「タイムボカン」シリーズ。それを引き出すのは、土偶羅のセリフにある、「メカ戦」という(たぶん)あのシリーズ独自のフレーズ。セコビッチとかの声が聞こえる。

04 178 3
 「ここまできて引けるか!! そんなに大きな火力の差があるはずは──」
 「それがあるのよ!! 信じて!! 全財産賭けてもいいからっ!!」
 「えっ。」(ざわっ)「美神さんが…!?」「金を…!!」 「撤退!!」
 この間の戦争もこういう人がいればよかった。それはさておき。長く積み上げられてきた、美神の守銭奴ぶりが逆に用いられて、無条件で笑える。動→静→動がうまいし、何より、小竜姫がいい。

 ■「続・仁義なき戦い!!」
01 27 4
「…前の飼い主のしつけがよっぽど厳しかったんじゃない?」
(化け物どもめ…!! 勝手なことほざきやがって──!!)
 と横島はいうが、はからずもこのベスパの指摘はかなり大正解。

01 40 1
「500…600…800…900…な、何!?」「小竜姫たちのカタキは討てそう?」「960マイト──!! ほぼ…互角です!!」
 この、いっけん『ドラゴンボール』と見まごうノリの「パワー計測合戦」は、先述のとおり[仁義なき戦い]その1ですでに示されていたのだが、もちろんわざと『ドラゴンボール』に見まがわせているのであった。次項参照。

02 58 2
「こーなったらもー知恵と度胸で4千マイトの差を埋めてくださいっ!!」「そんなに埋まるかあ──っ!!」
 というわけで、これまでの「計測合戦」がここでオトされる。言い換えれば、『ドラゴンボール』的「パワー計測合戦」のパロディ的回収。

03 75 3
「無理ないですよね。美神さんも女のコなんですもの。」「……」
 美神に庇護されているように見えて、じつは美神の<弱さ>を知るのも、おキヌであった。ここの横島が、見馴れない美神の<弱い>姿に驚くのと対照的に、おキヌは横島ほど驚いてはいない(1コマめの二人の表情を参照されたい。また、ヒャクメの表情とおキヌの表情も違う点に注意。ヒャクメの表情はおキヌほど深くない)。
 この三人の関係がじつに微妙に細やかに描かれていることについては、何度も触れてきたけれど、単に恋の<三角関係>的な連関だけじゃなく、成長と未成長、庇護と被庇護という関係も、必ずしも、美神→おキヌ、美神→横島、おキヌ→横島、のように一方的ではないことが、ここからもわかります。
 すでに、「美神さんは横島さんが守らなきゃ!」(21巻P36-3)と彼女が言っていたのを思い返してもいい。

 ■「その後の仁義なき戦い!!」
01 88 3
「昼と夜の一瞬のすきま…! 短時間しか見れないからよけい美しいのね。」
 この回から、美神、横島の論理だけでなく、三姉妹側の論理が描かれていくようになる。そちらにも横島は関わっていくことになって、事態は複雑な様相を呈してくる。

 一年しかないという自分の寿命のことがあるから、ルシオラは「短時間」の「美しい」「一瞬のすきま」=夕焼け、をいとおしむ。パビリオにとってのそれはペットを飼うことであった。
 それはそうなのだが、しかし、アシュタロスによって設定された寿命の話を超えてさらに、──この時点では誰もあずかり知らぬ彼女じしんの運命さえも予見してしまったことばでもあった。

 アシュ編の終焉までに何度か、このセリフに立ち戻らなければならない。

01 90 2
「とりあえずそのバカな服…着てくれて感謝するわ。」 きゅっ
 「きゅっ」?? どこかで聞いた擬音語。
 下のP146-1の項、参照。

■「仁義なき戦い・超常作戦!!」
02 146 1
がッ 「!!」
 ルシオラの足を<つかむ>横島。もちろん、ルシオラが<つかまれる>権利を得たのは、P90-2(上の項参照)でルシオラが横島を<つかんだ>からである。比喩的にいえば。
 <つかむ>ことは、『極楽』のなかで一つのキーワードとなっています。

 このP146~147、コマに注目すると、まず、徐々にアップさせていき、手を放す・放さないについて二人の緊迫感を表していきます。それが次ページ1コマめで急に視点を引いて状況を示しなおす。【目】に集中させたP147に対し、

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P148では徹底して横島の【目】を描きません(「夕焼け…好きだって言ったろ。」/「一緒に見ちまったから、あれが最後じゃ、悲しいよ。」)。この横島の心内はいかほどのものか、読者に判断させようとします。

 ルシオラは横島の、手を放せなかった優しさに触れてしまった。

03 165 3
「下っぱを使い捨てなんて、アシュタロスと変わらんじゃないか!! そんなやり方、──俺は認めんからな──ッ!!」
  横島の面目躍如のセリフ。
 ルシオラたちの寿命を一年の設定したアシュタロスの非情さについて言っているわけであるけれども、遠く、メフィストのことも射程に入れてわたくしたちは読むべきであろう。横島じしんがメフィストを意識して言ったわけではないことははっきりしているけれども。
 メフィストはアシュタロスにこう言われていた。
「どのみち、おまえは使い捨ての働きバチにすぎんのだ。不良品は捨てる…それだけよ。」「不良品…!? 私の「気」が原因不明で二つに増えたから…? たったそれだけの理由で!?」(22巻P119-2)。
 そのメフィストに対し、クリエーター/道具、の呪縛から解き放たれるべく「人間」になることを願ったのが、横島の前世・高島だった。
 「使い捨て」というフレーズが、アシュ編とメフィスト編を結わえるとき、まず高島/横島の<優しさ>が通底すること、また、メフィスト(/美神)とルシオラ(たち)とがパラレルな関係にあることが導き出せる。
 そして、さらに演繹するならば、このあとにルシオラが(メフィストが高島に恋心を抱いたごとくに)横島に恋心を抱いていく可能性もすでに胚胎していると読めるだろう。

03 171 6
「私たちは一年で何も残さず消えるのよ!! あんなこと言われたんじゃ──
もっとおまえの心に──残りたくなっちゃうじゃない…!/敵でもいい、また一緒に夕焼けを見て……!/ヨコシマ!」
「な…」(なんかこの展開……大昔にもあったよーな…?)
 ルシオラと横島との関係の、「大昔」(=メフィスト編)との連関が、横島の口を通して明示される。具体的には、次の場面。
「「俺にホレろ」なんて──/勝手に願っといて先に死ぬなんて…!!
ホレさせたんならちゃんと責任とれ!! この…/この…」(「デッド・ゾーン!!」23巻p7-5)
コマの配置、人物配置、背景、ともに、このコマをなぞっている。

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 ところでもうひとつ、重要な指摘をする必要がある。

 ルシオラは、ここではじめて、「ヨコシマ」と名を呼ぶ。

03 172 4
「大丈夫よ! あいつ、魔物に好かれる体質じゃん!」
 横島=魔物やモノノケに好かれる体質という公式が初めて美神の口から語られたのは、ほかならぬおキヌをめぐってでありました。
(横島クンて…モノノケのたぐいに好かれるキャラクターなのかもね。)」 (1巻P142-3)
 しかしながら、横島=「モノノケの類に好かれる」キャラ、という公式を、すなわち「事実」とみなすのはやや性急。いや、じっさい横島はモノノケの類に好かれてはいるけれど。でも、この公式が、美神の(また登場人物たちの)「解釈」にすぎないことは注意されるべきではなかろうか(注1)。そのことでもう少しちがう<読み>の世界が表れてくるようにわたくしは考えます。

 小鳩の横島評価(18巻p9-1)や、銀一の回想(36巻p150-3)を見てもそうだけど、<目先に囚われる人間にはわからないが、わかる人にはよさがほんとはわかる>というのが横島です。ただ、それを登場人物たちは適切な言葉で把握することができないからか、あるいはそうでなければ、正面切って横島に小鳩のように言うのは照れくさいという心理が無意識に働くからか、みな、言葉の上では、「横島=モノノケの類に好かれる」という言い方でわかりやすく理解している。もっとも、「モノノケ」だからこそ、人間の厄介なしがらみやレッテル貼りなしに横島の良さを感じ取れる、ってことでもあるんでしょうけども。
 とにかくまずは、「モノノケに好かれる体質」/「わかる人にはわかる良さ」がコインのウラおもての関係になっていることを提示しときます。

 さて、美神もたぶん、「モノノケに好かれる」ことのウラにある横島の魅力については十分に感じている(例えば、22巻p107-5は、おちゃらかしになってはいるものの、小鳩の横島評価と対応していよう)。だが、その魅力を認めるような言葉を、直接横島に言うことはないと思われる。おそらく、横島の魅力を言語化することを、美神はまだできない。横島の魅力を言語化=意識化してしまうときというのは、美神が自身で横島への想いを認めてしまうときであるから(23巻p30-4)、「本物の意地っぱり」(23巻p21-3)こと美神がそれを認めないためにも「モノノケに好かれる」以上の認識へ深化させないのだ、と言いえよう。
 と同時に、別に、あえて横島に言う必要もないのである。美神─横島のつながりは強固に形づくられてきており、何があろうと最終的には横島が自分のもとに帰ってくるであろうことへの確信(美神─横島の関係が崩されることがありえないという確信)がそこにはあると見てよい。

 こういう二人の関係は、たのもしく、またほほえましい。それを楽しむのもいいが、同時に、美神・横島以外の他者(第三者)が介入してきたときの美神の心理へと読みを広げてみると、さらにおもしろい現象が指摘できる。横島に対して「モノノケに好かれる体質」という解釈を美神がほどこすことが、自分にとっての防御作用としてはたらくのではないか、という読みである。
 すなわち、他の「モノノケ」系キャラクターが、横島のウラの「魅力」に惹かれたとしても、美神は、「横島=モノノケに好かれる体質」という公式を適用することで(解釈にとどまることで)、その「モノノケ」が横島の魅力に惹かれたことを直視せず、公式(=解釈)のなかに封じ込めてしまうという心的作用が想定できるのではないか。
 モノノケだけではない。他者が横島の魅力の核心に迫ろうとするとき、美神はそれを回避させる行動に出るのである。小鳩の例がもっともよい例であろう。
「あなた、横島クンのこと善意に解釈しすぎてると思うの! 言っとくけどあいつ、サイテーのケダモノよ!!」「そ…そうでしょうか。」(18巻p33-3)
だが、こういう説得工作はむしろめずらしい例だ(それだけ、積極的な小鳩の存在が『美神』のなかでは異質だったこと、それゆえ、美神自身も多少揺るがされていることがわかるといえるかもしれない)。回避行動として、もっと顕著・かつ一般的なのが、<ギャグへの突入>である。オチのコマで、小鳩を尻目に、美神と横島はギャグを行う。
「ボクらは夫婦っスよ──!!」「マネゴトだっつーてんでしょ!!」(18巻p56-3)
 ボケに対するはげしいツッコミ、というギャグをやりあうことで、他者(=小鳩やおキヌ)を排し、二人だけの純化した関係を確認できる、という逆説めいた言い回しが可能だ(注2)。特に、小鳩にはギャグ属性がないために、この美神の行動はきわめて有効にはたらいている。ギャグをやっているときが二人の至福の時なのであった(美神の口元を見よ!) 。

 しかし、これが崩すのが、誰あろう、ルシオラの存在なのである。
 「モノノケ」に好かれ、また横島がその「モノノケ」に煩悩を発動したところで、美神─横島ラインが崩される危険性はほとんどなかった( なお、おキヌの位置はそのなかでは微妙ではあるが、この<三角関係>については別に何度か示しているので繰り返さない )。
 だが、ルシオラのふるまいは、美神の現状への安住を許さないほど、横島のウラの魅力を掘り起こし、賞揚する流れを持つ。上述のごとく、美神はこれまで、「モノノケ」解釈によって、横島のウラの魅力を追求しようとするものを封じ込めてきたのだが、そして、この当該コマのおキヌへの発言もやはりその一環である、と<読み>のレベルでは位置づけることができると思われるのだが、しかしルシオラは容易に封じ込められない。美神もおキヌもノホホンとしてられなくなります。
 なんといってもルシオラは、小鳩にはない、ギャグ属性も持っているのが大きい。
 それはさておき、美神の<解釈>の力がルシオラの登場と介入において機能不全に陥ってしまうのである。この存在ははっきりいって、脅威にほかならない。美神は初めて、他者の存在に揺るがされる局面を迎えることになっていくのである。美神がとるべき道は、機能不全に陥った<解釈>に代わる、新たな<解釈>の発掘であろう。つまり、今まで正面からぶつかることを避けてきた、横島のウラの魅力を、ついに正面切って受け入れるべき時が来たのだ。だが──。


(注1)「事実」と「解釈」との違いは大きな問題。まんがの<読み>も、この違いに自覚的であるだけで、改めて見えてくることも多い。アシュ編末、<シリアスな横島にGSとしての存在価値はない>発言をめぐっても、「事実」/「解釈」に注意して考えてみます。

(注2) 日常生活でも、これはよくあることであろう。ギャグや、ボケ/ツッコミ、というのは、コミュニケーションの問題でもある。 

(2000/07/09。2001/06/26大幅改訂。03/08/17新訂。20/11/24再録、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による。

後記:文中、『ドラゴンボール』のクリリンを評して「力に技術で対抗するとは、西欧人に対する日本人みたいだ。」と書いていたが、それから20年、今やとてもそういう言い回しを脳天気にできなくなってしまったかもしれない。それはそれとして、

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このあたりのページとコマの展開の呼吸の巧さが引き立てる横島のかっこよさったらない。敵に回した時にその実力がわかる、という少年まんがの垂涎の展開。

『GS美神』私注:「グレート・マザー襲来!!」編その他(29巻)【再録】

あるいは、美神嫁姑戦争編。横島母・百合子が初登場し、横島のルーツが知られる一編である。 

■「絶海絶命!!」
01 17 3
「誰が横島の2号よ──っ!?」「えっ!? 私が3号なんですか?」
 注目したいのはおキヌのセリフ。
 ほかでも書きましたが(「横島、ルシオラ、「長いお別れ」」)、いろんなキャラや、なによりも物語が、<美神─横島>ラインを「運命」的にあたかも必然的なものとして結びつけていく方向を示しているなか、おキヌは自らそれを覆すべき「異議申し立て」をしていて、これは、その有力な一例。

 で、少しあとになるが、[もし星が神ならば!!]の、「横島さんフケツ──ッ!!」(38巻P130-3)というのもこれと同じではないか。というのが私見です。
 織姫に「変身能力」があると聞かされたこのコマでは、美神もおキヌもシロも、「横島はここぞとばかりに自分の(美神の/おキヌの/シロの)姿に変身させるに違いない」と、それぞれがそれぞれで勝手に<妄想>して疑わないのである(だから、タマモだけはあんまりこの事件では必死ではない。P139-2,3の表情を参照されたし)。実際は、織姫は美神の姿に「変身」するのだけども、それに目を奪われて、最初の段階ではおキヌもシロも勝手に<妄想>していることを読み流してはもったいない。ウラを返せば、それぞれがそれぞれに、横島との関係を求めている証左といってしまっていいのだ。これもまた<美神─横島>ラインへの「異議申し立て」の一つなのである。38巻p130-1の項、参照。

02 35 2
「今のうちに逃げるのよっ!! 煙を吸ったら私たちも浦島太郎よ!!」 ぐいっ 「た、助かった──!!」
 美神は「ぐいっ」と手をつかむ。おキヌの「きゅっ」(27巻P91-3)と好対照。

 

■「グレート・マザー襲来!!」
01 46 5
ドスッ
 当編は「父帰る!!」編(6巻)に対応している。この包丁のシーンによって、かつてのナイフのシーン(6巻P59-5「ドスッ」)が想起され、対応が促される。

02 59 4
「学歴なんか別にいいよ!! 俺はGSになるんだからな!!」
 美神の前では、「GSになる」なんて真顔では言えないセリフ。
 将来GSになるということを本気で横島が考えはじめているともとれるし、または美神やおキヌと離れたくないからこういうセリフがまず口をついたともとれる。【笑い眼】であることも考えあわせつつ。

 「将来っスかあ…? ま、一応は。/美人の嫁さん手に入れて、退廃的な生活したいと思ってます。」「ちっとも考えとらんじゃないか!!/GSのバイトっていうが、卒業後はGSになるのか?」「え。/考えたこともなかったなー。特殊な才能の要る仕事ですからねー。/まーアシスタントに生まれた俺は一生アシスタントっスね!!」「笑っていうセリフか…!?」(9巻P146-3)などと言ってたころもありました。

02 65 2
「OLにはちがいないが「ただの」じゃない!」
 ゆうきまさみ機動警察パトレイバー』(小学館)の「黒崎」。

02 66 1
「常識を超えた直感力と行動力で何をしても会社に貢献してしまうスーパーOL!!」「す…すーぱー…?」
 快作「嵐を呼ぶ男!!」編で、横島は意外な商才を発揮していた(「横島さんの作戦が大当たりなんです!」17巻p125)。はやく「父帰る!!」編にて、横島父・大樹の非常識なまでの商才が明らかにされていたが、ここで横島母・百合子の超常識な商才も知れる。横島の商才は両親の血を引く。

03 81 3
「ど…どっちって… あえて言うなら両──」
 「両方」というのは、ちょっと意外な発言。
 文脈を重視すれば、次のセリフ「両方なんてチャランポランな答え許さないわよ!? 父さんじゃあるまいし!」を導くための前フリと考えればまあスッキリするのだが、ただ、「あえて」といっているように、どっちなのかと改めて言われると横島もそれほど真剣に考えているわけでもないことが重要か。

 ちなみに、天秤にかけられている二人の姿勢の違いは、そのまま横島が二人に抱いているイメージの違いをはっきり表している。ポイントは【足】よりも【腕】の【角度】。

03 82 2
「おキヌちゃんは誰にでも優しいとこあるし、美神さんはあんたのこと全然相手にしてないじゃない?」
 P70-2の(…平気に決まってるよな…)もそうだったけども、横島はこの百合子のツッコミに対して、その通りだと<思いこむ>。
 じっさいは、美神は自分の母親のことがあるから引き留めないし、おキヌも「ニューヨーク」へ行くということをそれほど切実に考えていたわけではない(隣の県ぐらいに考えているっぽい)。
 なお、そのおキヌの心内を示すP82-3~5のコマはまんがならではの方法。

f:id:rinraku:20201123101620j:plain【点線枠】で横島の回想であることをはっきり示しながら、(ニューヨークってどこかしら。)という、横島には知ることのできないおキヌの心内が、読者にだけわかるという構図のコマになっていて、横島が誤解していることが、読者にだけ自然と読み取られるわけである。その方法もきっとまんが史の中で脈々と形成されてきたはずなのでしょうが。

03 89 1
「別れがあるから出会いはいとおしいんだし──」
 このコマ

f:id:rinraku:20201123100813j:plainが、上の項で挙げたコマの二コマ前(P86-4)、おキヌの決意のコマ

f:id:rinraku:20201123100804j:plainと、顔の方向(構図)が一致する。
 また、P86-4で用いられた背景(【コンピュータ処理の渦巻き】)は、(ヨコシマクンガ──イナクナッテモイイノ…?)(P90-1)の背景に再び用いられる。つまり、引き継がれる。
 おキヌの横島を引き留めたいという決意は、彼女が酒に呑まれて口に出ることはなく終わってしまったが(「酒に呑まれる」=「残念ながら、まだ<大人>には勝てない」という喩。<大人>になれば勝てるかもしれないという可能性を残してもいる)、おキヌの決意のコマ(P86-4)を、美神は同じ構図(P89-1)・同じ背景(P90-1)の二コマをかけて、引き継いでいくわけだ。

03 90 2
(俺がいなくても、平気ですか、美神さん。)

f:id:rinraku:20201123100758j:plain これは、わたくしは当初、実体的な横島とは読んでいなかったのですけども(つまり、単なるP71-1の繰り返しとして軽く読み飛ばしていたのですけども)、違いました。
 これは、百合子の横で座っている横島そのものです。
 次のコマの百合子の視線は、左(正面から見ると右)を向いている。

f:id:rinraku:20201123100801j:plainここでいったんP86を見ると、<左を向く百合子>は、この場では常に、横島を見ること、あるいは、母の眼で息子の内心を探ることを指していることがわかります。このコマもその流れで読んでいくべきではないか。そうすると、横島の真剣な顔を見て、その内心が何なのかを推し量ろうとする百合子の姿として、このコマが見えてくるはずです。

 そして、先述を踏まえたうえでいえば、このコマでの横島の顔の方向(構図)も前の二人と同じであり、三つの心内表現がお互いに通底していると考えることができましょう。

 なお、日本のまんがの多くは左を順や未来とするベクトルを持つことを踏まえれば、「別離の未来への進行とそれへの逡巡」が、<正面左向き(左へのベクトル)+ためらいの記号(おキヌ=黒バック+「……」(内話)、横島=黒バック+内話、美神=顔への影の付与)>という三者のコマの通底で示され、横島の胸中を推し量りその未来への進行をとりやめる(横島を連れていかない)予感を正面右への視線(右へのベクトル)をむける百合子のコマで示し、さらに、それを別の理由で止めることへの予感を、正面右向きの大樹のコマで示す、というように読むこともできる。左・左・左⇔右・右 というベクトルの拮抗である。

03 90 4
「「ユリは明7時N.Y.に出荷する」 何の暗号だ?」
 さて、これは誰が送ったのか。
(1)横島 (2)美神 (3)おキヌ (4)百合子 (5)その他
答えは五項目下。

04 102 3
「そーいうことじゃないでしょ!? 何、これは…?」「は?」
「ちょっとやりすぎじゃなくて、美神さん?
ウチの息子を自分の所有物みたいに扱うのは感心しないわね。もうおたくの部下じゃないんだから未練がましく身内ぶるのはやめてくださいな!」「な…」
 なかなかに深いもんである。初読時に「おっ」と思ったものです。
 おキヌと横島の言葉にあるように、結果的には、擬似的な「嫁姑関係」の確執をギャグに仕立てあげた話となるわけだけども。この百合子の一言で、それまで主としては横島を中心としていた物語展開が、確定的に、美神の話になってしまいました。

 正統的少年まんがの男主人公の<母親>というのは、多くは、包容力に満ちた、いわば<聖母>的形象がされるわけでして(またはガミガミ怒るだけの機能を持たされた<母親>、或いは完全に子どもに無関心な<母親>)、で、だいたいは男主人公の(彼女的)相手の女主人公にも優しい眼を向けることが多いけれども、そんななか、息子にツッコミを入れる(彼女的)女主人公とみるみる対立する<母親>を描くこの展開はなかなかおもしろい。私に言わせれば、「スーパーOL」だろうがなんだろうが、こういう母親のほうがホントだろう、と。そしてこの<母親>がいざとなったらこの相手を息子の相手としてしっかり認めるであろうこともいうまでもありません。

 ちなみに、「聖母」的な幻想の<母親>像だけが一人歩きしてしまうと、「このタイプのマザコンの息子の嫁にいくと、女性は苦労します。だって、戦う相手が「理想の母親」なんですから。まさに、息子の「神」と戦わなければならないわけです。宗教戦争ですからね。このタイプの息子は、「母親とはこういうものだ」「女とはこうすべきだ」という教条を振り回すのです。」(鴻上尚史『鴻上夕日堂の逆上 完結編』朝日新聞社、1993。たぶん上野千鶴子あたりの影響が濃い。)

 「聖母」的「母親」像については、アニメや特撮などのメディアに現れる<女>を明快に4分類した、斎藤美奈子『紅一点論─アニメ・特撮・伝記のヒロイン像─』(ビレッジセンター出版局、1998・7)も参照されたい。
 ある年齢以上の女性をアニメや特撮が表現するとき、<母性>が純化されて<母>とされ、この<母>は<男>を無限に許容してくれる存在。一方で<男>が相容れない・理解できない部分は、「中年のオバハン」的<悪の女王(または幹部)>に形象されて、倒すべき相手として刷り込まれる。そこには両極端の方向でしか、ある年齢以上の女性は存在させられず、現実的・実体的な中年<女性>像は決して描かれないことが厳しく批判されていて痛快。

 では『極楽』ではどうか。例えば<男に都合のいい女>なんてバカじゃん、という視点が、その後[マイ・フェア・レディー!!](36巻P105~110)で展開されていますが、そういった一編だけではなく、39巻全部を通した美神の描かれ方、おキヌの変容、を探ることで見えてくる問題があるはず。特に、おキヌが現実の人間となり再登場すること。

04 106 1
「危ない、近づくな、おキヌちゃんっ!!」
 まだ、近づかせてくれない。

04 106 5
「かっ…勝てないっ…!! こんな嫁姑関係私にはムリ…!!」
 おキヌが一歩引いてしまったように見えるのだが、むしろ「嫁姑関係」だと幻想しているのがおキヌであることの方が大事であるように思える。

04 107 3
「!」
 「いつもそばにいなくて平気ですか?」(P70-1)という、問いかけられなかった問いかけへの答えを、(…平気に決まってるよな…)(P70-2)という<思いこみ>の対極のどこかで、横島は待っている。それに美神が答えてくれそうな瞬間にこそ、横島は「!」として反応したのだった。
 そして、そのコマ

f:id:rinraku:20201123100808j:plainが、おキヌが何かを言おうとしたときの横島の反応を描く「──!」のコマ(P86-5)とやはり構図を同じくしていることは注目されよう(汗の位置なども)。または、同じでなければならない。なぜなら、「いつもそばにいなくて平気ですか?」と横島が声にならない声を発したとき、横島が思い浮かべたのは、三人一体の姿だったのだから。

 ウラ側に、<思いこみ>と<声なき声での期待>との間の揺れを大きく抱えつつ、横島の「──!」と「!」とはあるのである。

04 109 2
「もう来ちゃったの? もうひと息だったのに…」「!」
 このコマを素直に読んで、前後の流れも穏当に考えると、ナルニアの大樹にファックスを送った「何者か」とは、最後の引き留めを期待しつつ(あるいは半ば確信しつつ+大樹を手玉に取りつつ)の、(4)百合子のしわざである、とするのが正解になるか。

 とはいえ、他の可能性も探ってみたくなるわけです。そうすると、まず(1)横島と(3)おキヌは論外。実はぼくは初読時には横島だとばかり思っていたのですが、横島は「事態をなりゆきにまかせるほど消極的ではないのだっ!!」(P97-5)と言っていても、「ヘンゲリン」くらいが彼の策略の限界で、逆に「大樹」にファックスを送る「手段」をとった「何者か」に比べて浅知恵であることがわかる、という構成になっているととるべきでありましょう。おキヌは「ぼーぜん」(P109-5)としているからこのことについては完全な傍観者。
 では、(2)美神もまた、「ぼーぜん」の文字がかかっているのだけれど、「……」という心内があるところ(直接は次ページの心内に続くはたらきのフキダシだが)は、おキヌと違う。これは、内心思うところがある、ともとれるのではないか。そこで注目したいのが、百合子の「もう来ちゃったの?」という発言への「!」という反応です。
 (4)百合子、ととると、この美神の「!」は、次ページ-1、(最初から最後まで向こうのペースだったのね…)へと至るきっかけとなる。(2)美神ととるとしても、次のページへのきっかけとなることそれ自体は覆らないのだけれども、
横島がいなくならないよう美神が大樹にファックスを送るという策略をこらす
 ↓
実際に大樹は来たのだが、目の前の百合子はそういう策略に係わらず、大樹の来ることを確信していたし、つまりは夫を、また全員を手玉にとっていた(美神にとっては大樹が来たことも本当にファックスが原因だったかはわからない─自分が介入してもしなくても絆の深いこの二人なら結果はいっしょだったかも)
 ↓
「!」
 ↓
(最初から最後まで向こうのペースだったのね…)
という流れで捉えられるのではないか、という提案をしておきたい。

(2000/05/30、06/05改訂。03/08/17新訂。20/11/23再録、増補、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による。

『GS美神』私注:「ストレンジャー・ザン・パラダイス!!」編その他 (28巻)【再録】

あるいは、未来横島遭遇編。時間移動ネタが好きだなあ、としみじみ思わせる一編である。

■「ストレンジャー・ザン・パラダイス!!」
01 25 5
「やっぱり…!! 「カマイタチ」だわ!!/三匹一組の風の妖怪!」
 藤田和日郎うしおととら』でもでてくる。一体に、まんがの内容はぜんぜんちがうけれども、扱う題材のフィールドが近いことがあって、『うしとら』と『極楽』とでかぶる妖怪・魔物・エピソードはけっこうある。『うしとら』でいう「白面の者」は『極楽』ではタマモがそれだし、式神の登場は『極楽』が先、とか、そのへん先後関係を追うのもいいし、描かれ方の違いだけ見てもけっこうおもしろい。
 水木しげるゲゲゲの鬼太郎』じゃないが、妖怪を扱うようなまんがは膨大になっていて、作家は、オリジナルな「妖怪」を作り出すのでなければ、その題材を昔語などで触れられる「妖怪」に求めることになる。といって、その題材は無限ではなく、とうぜん「あっちのまんがでこう登場していた」妖怪が、こっちのまんがでちがう形で現れる、という現象があちこちでおこりうるわけです。同じ題材を、そのまんがの展開のなかでどういうふうに料理しているか、が問題になりましょう。
 とはいえ、カマイタチはここはそんな問題じゃないか。チョイ役。

01 32 1
「自分だってしょっちゅう「しまった」とか言ってるクセに!!」
 たしかに。

02 50 1
「未来は常に変化するから、おまえも俺と同じ道を進むとは限らん!」
 「時間移動」は、『GS美神』のなかで重要な位置をしめる能力だけれども、その実体はひとつの論理で説明がつけられず、矛盾が生じてしまう。合理的に解そうとすれば、最低でも、時間移動原理は各編ごとにそれぞれ性格が異なるものである、とする必要があろう。
 本編「ストレンジャー・ザン・パラダイス!!」にかぎっても、どれかを説明づけようとするとどれかが説明しがたい。せめて、横島が刺されて未来横島が血を吐くところ(P64)さえなければ、なんとか秩序立てて説明できるはずなのだけど。
 というわけで、次のことばを捧げて、時間移動については以後、基本的には棚あげしておきたい。
「カメラの切り替えまでしたらフォローのしようがないっ!!」
まちがえた(ほんとはまちがってない)。こっちだ。
「まんがの時間の流れがどーなってんのかはともかく、いつもありがとう…!」([清く貧しく美しく!!]17巻P168)
 で、むしろここからが強調しておきたいところなのだけれども、時間移動の論理を考えるのもいいが、「未来は常に変化するから」という発言が未来横島の発言であるところにこそ注意したい。厳密にはそれが真実なのかどうかはわからない。だが、未来横島にとってそれは、ぜったいにそうでなければならない、と信じなければならないことなのである。「やはり歴史を変えるのは無理なのか!?」という発言とその心情(P64-1)も考えあわせておきたい。

02 51 1
「文珠は同時に複数の文字を使うと応用範囲が劇的に広がるんだ。」
 ある意味では遠い伏線。

03 72 3
「ここで君まで感染したら、話がまたややこしくなる!/それに、これは──俺たちの問題だから…」「は…?」
 この編を通じて未来横島はおキヌの眼をはっきりと正視できているコマはない。この未来横島の過去には(ややこしい)「何か」があったのである。でも、とうぜん「何か」があったろう。そうでなきゃ却って困るし、おキヌに対して何の逡巡も描かれないのだったら、この横島はほんとうじゃあない。

 もっとも、この未来横島+美神のみが物語の必然的未来形というわけではないことについては、物語のなかで非常に明快に提示されている。

03 73 4
「いっそ、この女とどーこーというオプションをはずせば…」
 現在横島をして、眼前の未来横島ではないかたちの未来を想像させることで、未来横島を相対化させている。次項も参照のこと。

03 75 2
「こんな生活もうイヤ──!! 別れます! さようならっ!!」
 横島の想像する未来は、あくまで横島の想像に過ぎない。むしろ、こういう想像をしてしまうこと自体が、ひじょうに横島の対おキヌ観をはっきり示していておもしろい。
 ひとつ補助線を引いておくと、「俺ってこんなにコンプレックス強かったのか…」(P51-4)という、未来横島が現在横島を見て苦笑するところの心内語が挙げられます。横島の未来の想像は、横島の一方的な決めつけに他ならない。けれど、それは横島の「コンプレックス」ゆえの産物であって、じっさいこれまでのおキヌの横島への想いを考えあわせれば、少なくとも、おキヌの側から出ていくことは、まず考えられないのです。しかし、横島は出ていくと決めつける。この決めつけがあるかぎりは(他にも24巻P166-5 「こう見える」などがありました)、<三角関係は安泰>(<膠着>ともいえるが…)なのである。
 ちなみに、横島の「コンプレックス」は「そんな…俺、成績よくないしっ、ほかに特技もないしっ…!!」(P75-2)というのにも表れていよう。何度も繰り返してきたように、常に横島は自分を過小評価しているのである。

 あと、この想像のなかで、横島がじつは「おキヌ」と呼び捨てている点は、さりげないけれど注意しておきたい。横島によるおキヌの呼称は「おキヌちゃん」がデフォルトであるかと思いきや、この妄想では「おキヌ」と呼んでいることから、現在の横島におけるおキヌへの距離感を逆に看取できる。

04 86 1
のび太はそれがイヤでしずかちゃんと結婚するように未来を変えようとするのよね。でもさ──/それってしずかちゃんにはサイテーよね!?」
 「未来を知ったらしずかちゃんだってきっと同じことをするはずよっ!! 殺すっ!! こいつを殺して未来を変える──!!」と物騒な美神に対して、横島のツッコミが、「しずかちゃんはそんなことはしない──っ!!」であるのが、いい。何がいいかって、そのツッコミはツッコミとしてズレているのがいい。この一ページ、藤子不二雄への、屈折した愛ないしはオマージュ。

04 95 1
「そ…そうかっ!! 二人分の霊力で…」
 鼻血が止まる。

 煩悩による霊力の発現、というようには見えない。『極楽』第2話にあたる[オフィスビルを除霊せよ!!]に、「横島クンの精神集中が異常に高まって、一瞬、霊能者なみの霊力が出たのね。/私のパワーと相乗されて、悪霊を吹き飛ばしたんだわ!」(1巻P54-2)とある、「横島クンの精神集中」の状況とは、まったく逆である。
 このことは、初期『極楽』と、長編化する『極楽』との違いを表す、じつに象徴的な事例だろう。どっちがいい悪いではない。
 この違いを苦々しく受け取る向きもあるかもしれないけれど、アシュ編の終わり近くで、この問題はたぶん状況上では最善のかたちで止揚されていると読むのが私見です。そのことは35巻で改めて。

04 100 5
「本人がいいんなら…いーんじゃない?」
 「忘」を使ったことは、例えばリセットボタンを押すようなこと、とたとえてしまうと正確ではない。未来横島(+未来美神)に出会ったことそれ自体は「忘」れる=リセットされても、美神と横島を取り巻く時間は刻々と動いていたわけであるし(つまり、時間そのものがリセットされるわけではないし)、また、美神が毒を既に血清で治療してしまっている。その点からしても未来とは違ってしまっており、横島の「し、しかしそれじゃ…いいのか?」(P100-1)という(また自分たちと同じ人生を一歩違わず歩んでしまうぞ、というようなニュアンスの)心配は、あたらない。

 そういう時間の問題もさることながら、なによりも、この主人公は、そもそもある決まった未来に自動的に進められてしまうことを望むような人ではない、その一点はいうまでもないことでして、大手を振って、彼女は自らの未来をきっと自らできり拓いていくはずなのである。それが「こんな女、私とは別人もいーとこよ!」(P99-4)なのであって、そのセリフはいかにも彼女にふさわしいのだけれど、そういいつつ、美神は「こんな女」の存在を自分の未来の可能態の一つとして、「本人がいいんなら」と受け入れはした、そのことは重要なのだろう。

 とはいえ、受け入れはしても、はたしてなぜ未来美神が「あんまり幸せそーにあんたのことのろける」「こんな女」に<変わった>のかを今の美神自身がわかっているかどうかは、実は疑わしい。未来美神は、自身の成長もさることながら、横島と恋をし、結びつくに至ったことによってこそ、それまでの自分が<変わった>はずなのだ。そこに、まだまだ今の美神は気づかない。

04 101 1
「美神さーん。もう、入ってもいいですか?」
 本編中、据え置かれてしまったおキヌが、未来横島の退場とともに元の位置に戻る。このセリフは象徴的に用いられていましょう。そして、未来おキヌの可能性もまた、うち消されたわけではないのだから、「入ってもいい」のである。


(2000/05/23。03/08/17新訂。20/11/22再録、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)による。

『GS美神』私注:「バレンタインデーの惨劇!!」その他 (26巻・27巻)【再録】

あるいは、おキヌ聖女編。アシュタロス一派との対立と横島成長譚に一息いれ、二、三話1エピソードのギャグまんが展開の数編である。

■「魔法の鉄人!!」
03 61 1
「私の~~気が確かなら~~」「「記憶」よ冥子~~!」
 これほどこのセリフの似合うキャラはいない。

03 62 2
「大丈夫だってば!! まーかせて!」
 いうまでもなく、ゆうきまさみ『究極超人あ~る』(小学館)の鳥坂センパイの名ゼリフが元ネタ。

03 67 3
「あああっおいしゅうございますっ!!」
 『料理の鉄人』における料理記者岸朝子氏の決まり文句。
03 77 2
「最初から美神さんはこのための料理を…!?」
 相手の出方を予想してその欠点を衝いた料理を出す、──この芸当ができるのは日本では他に海原雄山先生ぐらいであろう。

 

■「遊びの時間は終わらない!!」
01 96 2
「俺はもー大人で忙しいのっ!! オモチャで遊んでちゃ生活できねーんだっ!!」
 この二話、「Dr.椎名の教育的指導!!」、「ミニ四駆の鬼」(1巻p172)の長編化として読むことが可能。

 

■「サバイバル合コン!!」
02 156 6
「あれ… でもなんか忘れてる気が…?」「(今日はクリスマスだ…! 博愛と寛容がクリスマス精神!!/怒っちゃダメだ…!! しかし……)」
 このエピソード、よくできていると改めて思う。良質のコメディになってます。合コンで余った雪之丞とタイガーの怨念も、その二人にハメられるピートも(「えっ!?「雪が食べたい」!?」)、12時で売れ残りという批評も、そしてピートのオチも。

 ところで、このエピソード、実は美神が一コマも登場しないことは注意される。
 もともと学校ネタが何回か積み重ねられ、それと同時に横島がGSとして力をつけはじめてきている状況にあっては、横島を中心に同学年キャラが配置されて物語が動くようになっているのであって、美神がいなくても横島のおもしろさでハナシが保つのである。
 これは『極楽』の新しいエピソードづくりの可能性が出てきたということでもある。『極楽』の世界観の層がかなり厚くなってきている観があります。

 

■「わが青春の宝船!!」
01 164 1
「どーせ…!どーせわしらはマイナーじゃ…!ビートルズで言えばリンゴ・スター。」「ドリフで言えば高木ブー。」
 むかし『ジャンプ放送局』のネタで、「47都道府県を全て言って見てください。46コしか思い浮かばなかったら残りの一つは佐賀県でしょう。」という佐賀県民の投稿があったな。

 

■「Gの恐怖!!」
01 22 3
「い…痛くもかゆくもないわ…!?/なんか、一刻を争うって感じ…?」
 かなりの勢いで、美神がいい感じの「ヨゴレ」になってきてます。全部調べようとは思わないけど、ヨゴレ女性キャラの特権的記号、【ガニマタこけ(片足)】も、全巻の後半では、容赦なく美神に使われるようになるように思う。このことは、美神の描かれ方・位置づけの変化というところではちょっとした注意点。

 

■「遊びの時間、ふたたび!!」
01 48 2
「いきなりコレかいっ!?」
 「ハタつつみ」「モズおとし」もそうだが(p51)、わざわざ言うのも恥ずかしいが、このコマの構図からしてすでに藤子不二雄A『プロゴルファー猿』を承ける。

参考、「わしの正体はミスターF。」「わしはいつもバカを連れてくる係です。じゃが今日はアメリカ大陸からブタッキーに引きあわせたいビッグスターを引き連れてきた。」(ながいけん神聖モテモテ王国』6巻、小学館、1999(1999))

01 54 2
「さーて、それじゃ──」
 目もとに黒く必要以上に陰をつけているのも、『猿』が元ネタ。

 

■「バレンタインデーの惨劇!!」
01 60 1
「バレンタインデーっていうのは、もともとキリスト教以前の古代ローマのお祭りなのよ。」
 『極楽』では、[チョコ人間第一号!!](8巻)、[Vの悲劇!!](13巻)に続くバレンタインデーネタ(メインではないが[清く貧しく美しく!!](17巻)も)。
 バレンタインデーネタは、クリスマスネタに並んで、少年まんが、とりわけ学校まんがの定番。それだけに、とくにループの時間を描く作品は、毎年手を変え品を変える必要にせまられている。

01 77 1
「残念だったわね─!!それは私にしか作れないのよっ!!」
 これもなかなかこおばしいキャラになってきた。彼女が気の利いたことをしようとすると、おおよそ何かアクシデントがある。

 「あのー…/どちらの星のかたでしょう?」(p93)という小ボケもなかなかいい。

02 91 3
「とにかくここから上がりましょう…!?」 きゅっ 「え…!?」
 横島の手を「きゅっ」とつかむおキヌ。

f:id:rinraku:20201121005843j:plain

 この一コマは、過剰な書き込みがないからこそ、その行為が美しく読める。横島にとっておキヌとは何か、を決定的に示してもいよう。ここでのおキヌは、ドブ川のなかに足を浸すことを厭わず、横島に手をさしのべている。忌み(=汚物)のなかにあえて身を投じ救済を果たす。
「サバイバルの館!!」23巻p143-1も参照のこと。

 それにしてもはんてんで街中を走らせたのは、ツボを心得ているとしかいいようがない。柊あおい星の瞳のシルエット』でもありました。

02 93 2
しゅこ~ ぱ~ しゅこ~
 ここから最後まで、横島と西条の顔は徹底して描かれていない。一見さりげないが、こういうところを徹底させることが作家のセンス。最後のコマなんかで表情が見えてもおもしろくないはずです。【血管(怒り)】も【汗】もほんとはいらないと思う。

 

(2000/03/23,24。03/08/17新訂。20/11/21再録、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による。