"Logue"Nation

ローグネーション。言葉と図像を手がかりにまんがを「私」が「読む」自由研究サイト。自費持ち出しで非営利。引用画像の無断転載を禁じます。

『GS美神』私注:「仁義なき戦い!!」各編(29、30巻)【再録】

あるいは、対アシュタロス戦本格始動編。この回より、土偶羅、及びルシオラ・ベスパ・パピリオ三姉妹が登場。GSチームの指揮をとるために美智恵が登場。

■「仁義なき戦い!!」
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「霊力の強目のがいたんでちゅ! 調べてみようと思って…」「ふ…ん。」「なるほど?」
 いまだ物議を醸し続ける、三姉妹初揃い踏みのコマ。むろんルシオラの顔が、これ以後とぜんぜんちがうからである。
 ベスパ・パビリオはそののちにもほとんど造型が変わらないのに、ルシオラだけはどんどんかわいくなっていくというのは、逆に彼女の位置づけの変化を考える足がかりともなりましょう。

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ズン.「!!」「?」
 霊圧に、この医者は気づかないのに、ほかはみな気づく。そして横島もまた。[サバイバルの館!!]23巻p179-1の項を参照されたい。

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(どうする……!? とっさに霊力を抑えたから、まだ正体はバレてない! でも戦えばいくらなんでも気づかれちゃう──!)
 [スタンド・バイ・ミー]編では、美神の強い「霊能力」のせいで霊団に美神(+おキヌ)の位置がわかってしまう、とあった。つまり、その段階では霊力を抑える技術は当時はなかったわけである。深読みすれば、その一件を反省して、美神は霊力を抑える技術を会得して現在に至るのだ、と読める。

 霊力を「抑える」という表現からは即、鳥山明ドラゴンボール』(「気を抑える」)が思い出されよう。
 サイヤ人編やフリーザ編のカラクリの一つとして、力ではぜったいに勝てない相手に地球人が唯一優位に立てるのが、気をコントロールする技術である、ということがある。で、それはかなりおもしろかったようには思う。力に技術で対抗するとは、西欧人に対する日本人みたいだ。クリリンなんてまさにそうで。実は地球人で一番強い彼は、「技のデパート」の名にふさわしい。気円斬とか。または自分で舞空術を身につけてしまっていたり。
 『極楽』もやはり、絶大的な力を持つ敵に対して「技術」で対抗するのですが──その「技術」が、金とかヒキョーな手とかであるところにこの作品の白眉があるのであった。
 ともあれ、アシュ編は、どうも『ドラゴンボール』をにおわせて始発する。

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「…調べるまでもないわね。霊力はせいぜい2~3マイト。」
 出会いのセリフはこんなものだった。ま、そんなものだ。
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「おどろいた……!今の、絶対零度近く下がったわよ!」「一瞬だけど霊力にして300マイト近くはあったね。」
 「バカなっ!!! 戦闘力があがっていく!!! 戦闘力924…!!!/こいつ…!! 戦闘力を一点に集中させてたかめることができるのか…!!!」(『ドラゴンボール』17巻p127)。

 絶対零度に関しては、80年代『ジャンプ』世代としてはキグナス氷河がなつかしい。

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「よしっ!! 今日からおまえの名前は「ポチ」でちゅっ!!」「えっ。」
 名前をつけるとは所有するということとほぼ同義。

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 「よーし、それじゃメカ戦だ──ッ!!」「今週のびっくりどっきりメカ──!!」「ネ、ネタが古いわよ、パビリオ!」
 言わずとしれた「タイムボカン」シリーズ。それを引き出すのは、土偶羅のセリフにある、「メカ戦」という(たぶん)あのシリーズ独自のフレーズ。セコビッチとかの声が聞こえる。

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 「ここまできて引けるか!! そんなに大きな火力の差があるはずは──」
 「それがあるのよ!! 信じて!! 全財産賭けてもいいからっ!!」
 「えっ。」(ざわっ)「美神さんが…!?」「金を…!!」 「撤退!!」
 この間の戦争もこういう人がいればよかった。それはさておき。長く積み上げられてきた、美神の守銭奴ぶりが逆に用いられて、無条件で笑える。動→静→動がうまいし、何より、小竜姫がいい。

 ■「続・仁義なき戦い!!」
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「…前の飼い主のしつけがよっぽど厳しかったんじゃない?」
(化け物どもめ…!! 勝手なことほざきやがって──!!)
 と横島はいうが、はからずもこのベスパの指摘はかなり大正解。

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「500…600…800…900…な、何!?」「小竜姫たちのカタキは討てそう?」「960マイト──!! ほぼ…互角です!!」
 この、いっけん『ドラゴンボール』と見まごうノリの「パワー計測合戦」は、先述のとおり[仁義なき戦い]その1ですでに示されていたのだが、もちろんわざと『ドラゴンボール』に見まがわせているのであった。次項参照。

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「こーなったらもー知恵と度胸で4千マイトの差を埋めてくださいっ!!」「そんなに埋まるかあ──っ!!」
 というわけで、これまでの「計測合戦」がここでオトされる。言い換えれば、『ドラゴンボール』的「パワー計測合戦」のパロディ的回収。

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「無理ないですよね。美神さんも女のコなんですもの。」「……」
 美神に庇護されているように見えて、じつは美神の<弱さ>を知るのも、おキヌであった。ここの横島が、見馴れない美神の<弱い>姿に驚くのと対照的に、おキヌは横島ほど驚いてはいない(1コマめの二人の表情を参照されたい。また、ヒャクメの表情とおキヌの表情も違う点に注意。ヒャクメの表情はおキヌほど深くない)。
 この三人の関係がじつに微妙に細やかに描かれていることについては、何度も触れてきたけれど、単に恋の<三角関係>的な連関だけじゃなく、成長と未成長、庇護と被庇護という関係も、必ずしも、美神→おキヌ、美神→横島、おキヌ→横島、のように一方的ではないことが、ここからもわかります。
 すでに、「美神さんは横島さんが守らなきゃ!」(21巻P36-3)と彼女が言っていたのを思い返してもいい。

 ■「その後の仁義なき戦い!!」
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「昼と夜の一瞬のすきま…! 短時間しか見れないからよけい美しいのね。」
 この回から、美神、横島の論理だけでなく、三姉妹側の論理が描かれていくようになる。そちらにも横島は関わっていくことになって、事態は複雑な様相を呈してくる。

 一年しかないという自分の寿命のことがあるから、ルシオラは「短時間」の「美しい」「一瞬のすきま」=夕焼け、をいとおしむ。パビリオにとってのそれはペットを飼うことであった。
 それはそうなのだが、しかし、アシュタロスによって設定された寿命の話を超えてさらに、──この時点では誰もあずかり知らぬ彼女じしんの運命さえも予見してしまったことばでもあった。

 アシュ編の終焉までに何度か、このセリフに立ち戻らなければならない。

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「とりあえずそのバカな服…着てくれて感謝するわ。」 きゅっ
 「きゅっ」?? どこかで聞いた擬音語。
 下のP146-1の項、参照。

■「仁義なき戦い・超常作戦!!」
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がッ 「!!」
 ルシオラの足を<つかむ>横島。もちろん、ルシオラが<つかまれる>権利を得たのは、P90-2(上の項参照)でルシオラが横島を<つかんだ>からである。比喩的にいえば。
 <つかむ>ことは、『極楽』のなかで一つのキーワードとなっています。

 このP146~147、コマに注目すると、まず、徐々にアップさせていき、手を放す・放さないについて二人の緊迫感を表していきます。それが次ページ1コマめで急に視点を引いて状況を示しなおす。【目】に集中させたP147に対し、

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P148では徹底して横島の【目】を描きません(「夕焼け…好きだって言ったろ。」/「一緒に見ちまったから、あれが最後じゃ、悲しいよ。」)。この横島の心内はいかほどのものか、読者に判断させようとします。

 ルシオラは横島の、手を放せなかった優しさに触れてしまった。

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「下っぱを使い捨てなんて、アシュタロスと変わらんじゃないか!! そんなやり方、──俺は認めんからな──ッ!!」
  横島の面目躍如のセリフ。
 ルシオラたちの寿命を一年の設定したアシュタロスの非情さについて言っているわけであるけれども、遠く、メフィストのことも射程に入れてわたくしたちは読むべきであろう。横島じしんがメフィストを意識して言ったわけではないことははっきりしているけれども。
 メフィストはアシュタロスにこう言われていた。
「どのみち、おまえは使い捨ての働きバチにすぎんのだ。不良品は捨てる…それだけよ。」「不良品…!? 私の「気」が原因不明で二つに増えたから…? たったそれだけの理由で!?」(22巻P119-2)。
 そのメフィストに対し、クリエーター/道具、の呪縛から解き放たれるべく「人間」になることを願ったのが、横島の前世・高島だった。
 「使い捨て」というフレーズが、アシュ編とメフィスト編を結わえるとき、まず高島/横島の<優しさ>が通底すること、また、メフィスト(/美神)とルシオラ(たち)とがパラレルな関係にあることが導き出せる。
 そして、さらに演繹するならば、このあとにルシオラが(メフィストが高島に恋心を抱いたごとくに)横島に恋心を抱いていく可能性もすでに胚胎していると読めるだろう。

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「私たちは一年で何も残さず消えるのよ!! あんなこと言われたんじゃ──
もっとおまえの心に──残りたくなっちゃうじゃない…!/敵でもいい、また一緒に夕焼けを見て……!/ヨコシマ!」
「な…」(なんかこの展開……大昔にもあったよーな…?)
 ルシオラと横島との関係の、「大昔」(=メフィスト編)との連関が、横島の口を通して明示される。具体的には、次の場面。
「「俺にホレろ」なんて──/勝手に願っといて先に死ぬなんて…!!
ホレさせたんならちゃんと責任とれ!! この…/この…」(「デッド・ゾーン!!」23巻p7-5)
コマの配置、人物配置、背景、ともに、このコマをなぞっている。

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 ところでもうひとつ、重要な指摘をする必要がある。

 ルシオラは、ここではじめて、「ヨコシマ」と名を呼ぶ。

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「大丈夫よ! あいつ、魔物に好かれる体質じゃん!」
 横島=魔物やモノノケに好かれる体質という公式が初めて美神の口から語られたのは、ほかならぬおキヌをめぐってでありました。
(横島クンて…モノノケのたぐいに好かれるキャラクターなのかもね。)」 (1巻P142-3)
 しかしながら、横島=「モノノケの類に好かれる」キャラ、という公式を、すなわち「事実」とみなすのはやや性急。いや、じっさい横島はモノノケの類に好かれてはいるけれど。でも、この公式が、美神の(また登場人物たちの)「解釈」にすぎないことは注意されるべきではなかろうか(注1)。そのことでもう少しちがう<読み>の世界が表れてくるようにわたくしは考えます。

 小鳩の横島評価(18巻p9-1)や、銀一の回想(36巻p150-3)を見てもそうだけど、<目先に囚われる人間にはわからないが、わかる人にはよさがほんとはわかる>というのが横島です。ただ、それを登場人物たちは適切な言葉で把握することができないからか、あるいはそうでなければ、正面切って横島に小鳩のように言うのは照れくさいという心理が無意識に働くからか、みな、言葉の上では、「横島=モノノケの類に好かれる」という言い方でわかりやすく理解している。もっとも、「モノノケ」だからこそ、人間の厄介なしがらみやレッテル貼りなしに横島の良さを感じ取れる、ってことでもあるんでしょうけども。
 とにかくまずは、「モノノケに好かれる体質」/「わかる人にはわかる良さ」がコインのウラおもての関係になっていることを提示しときます。

 さて、美神もたぶん、「モノノケに好かれる」ことのウラにある横島の魅力については十分に感じている(例えば、22巻p107-5は、おちゃらかしになってはいるものの、小鳩の横島評価と対応していよう)。だが、その魅力を認めるような言葉を、直接横島に言うことはないと思われる。おそらく、横島の魅力を言語化することを、美神はまだできない。横島の魅力を言語化=意識化してしまうときというのは、美神が自身で横島への想いを認めてしまうときであるから(23巻p30-4)、「本物の意地っぱり」(23巻p21-3)こと美神がそれを認めないためにも「モノノケに好かれる」以上の認識へ深化させないのだ、と言いえよう。
 と同時に、別に、あえて横島に言う必要もないのである。美神─横島のつながりは強固に形づくられてきており、何があろうと最終的には横島が自分のもとに帰ってくるであろうことへの確信(美神─横島の関係が崩されることがありえないという確信)がそこにはあると見てよい。

 こういう二人の関係は、たのもしく、またほほえましい。それを楽しむのもいいが、同時に、美神・横島以外の他者(第三者)が介入してきたときの美神の心理へと読みを広げてみると、さらにおもしろい現象が指摘できる。横島に対して「モノノケに好かれる体質」という解釈を美神がほどこすことが、自分にとっての防御作用としてはたらくのではないか、という読みである。
 すなわち、他の「モノノケ」系キャラクターが、横島のウラの「魅力」に惹かれたとしても、美神は、「横島=モノノケに好かれる体質」という公式を適用することで(解釈にとどまることで)、その「モノノケ」が横島の魅力に惹かれたことを直視せず、公式(=解釈)のなかに封じ込めてしまうという心的作用が想定できるのではないか。
 モノノケだけではない。他者が横島の魅力の核心に迫ろうとするとき、美神はそれを回避させる行動に出るのである。小鳩の例がもっともよい例であろう。
「あなた、横島クンのこと善意に解釈しすぎてると思うの! 言っとくけどあいつ、サイテーのケダモノよ!!」「そ…そうでしょうか。」(18巻p33-3)
だが、こういう説得工作はむしろめずらしい例だ(それだけ、積極的な小鳩の存在が『美神』のなかでは異質だったこと、それゆえ、美神自身も多少揺るがされていることがわかるといえるかもしれない)。回避行動として、もっと顕著・かつ一般的なのが、<ギャグへの突入>である。オチのコマで、小鳩を尻目に、美神と横島はギャグを行う。
「ボクらは夫婦っスよ──!!」「マネゴトだっつーてんでしょ!!」(18巻p56-3)
 ボケに対するはげしいツッコミ、というギャグをやりあうことで、他者(=小鳩やおキヌ)を排し、二人だけの純化した関係を確認できる、という逆説めいた言い回しが可能だ(注2)。特に、小鳩にはギャグ属性がないために、この美神の行動はきわめて有効にはたらいている。ギャグをやっているときが二人の至福の時なのであった(美神の口元を見よ!) 。

 しかし、これが崩すのが、誰あろう、ルシオラの存在なのである。
 「モノノケ」に好かれ、また横島がその「モノノケ」に煩悩を発動したところで、美神─横島ラインが崩される危険性はほとんどなかった( なお、おキヌの位置はそのなかでは微妙ではあるが、この<三角関係>については別に何度か示しているので繰り返さない )。
 だが、ルシオラのふるまいは、美神の現状への安住を許さないほど、横島のウラの魅力を掘り起こし、賞揚する流れを持つ。上述のごとく、美神はこれまで、「モノノケ」解釈によって、横島のウラの魅力を追求しようとするものを封じ込めてきたのだが、そして、この当該コマのおキヌへの発言もやはりその一環である、と<読み>のレベルでは位置づけることができると思われるのだが、しかしルシオラは容易に封じ込められない。美神もおキヌもノホホンとしてられなくなります。
 なんといってもルシオラは、小鳩にはない、ギャグ属性も持っているのが大きい。
 それはさておき、美神の<解釈>の力がルシオラの登場と介入において機能不全に陥ってしまうのである。この存在ははっきりいって、脅威にほかならない。美神は初めて、他者の存在に揺るがされる局面を迎えることになっていくのである。美神がとるべき道は、機能不全に陥った<解釈>に代わる、新たな<解釈>の発掘であろう。つまり、今まで正面からぶつかることを避けてきた、横島のウラの魅力を、ついに正面切って受け入れるべき時が来たのだ。だが──。


(注1)「事実」と「解釈」との違いは大きな問題。まんがの<読み>も、この違いに自覚的であるだけで、改めて見えてくることも多い。アシュ編末、<シリアスな横島にGSとしての存在価値はない>発言をめぐっても、「事実」/「解釈」に注意して考えてみます。

(注2) 日常生活でも、これはよくあることであろう。ギャグや、ボケ/ツッコミ、というのは、コミュニケーションの問題でもある。 

(2000/07/09。2001/06/26大幅改訂。03/08/17新訂。20/11/24再録、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による。

後記:文中、『ドラゴンボール』のクリリンを評して「力に技術で対抗するとは、西欧人に対する日本人みたいだ。」と書いていたが、それから20年、今やとてもそういう言い回しを脳天気にできなくなってしまったかもしれない。それはそれとして、

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このあたりのページとコマの展開の呼吸の巧さが引き立てる横島のかっこよさったらない。敵に回した時にその実力がわかる、という少年まんがの垂涎の展開。