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Led(by)ぼっちちゃん ― アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」8話「あのバンド」の全身総毛立つところを挙げていく

 アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」#8が凄い。タイトル回収回は伊達じゃない。

 作り手側のインタビューなどもぜひ読んでみたいけれども、とりあえず最終回になる前に、他に情報を入れずに自分なりに観て考えたことを、視聴の記録として並べていきたい。

nico.ms

1.ぼっちちゃんのアドリブのギターソロのタイム感

 「ギターと孤独と蒼い惑星」の演奏が揃わない。そのまま2曲めになだれこみそう…というピンチで、ギターヒーロー登場…! その展開の気持ち良さったらないが、ここ、ただ荒ぶってるんじゃなくて、派手なギターソロで引き込まれるけれど、ソロ終わりの手前まで、タイム感を保ち続けているところも見どころ(聴きどころ)だと思う。そしてこのBPMを、そのままリズム隊に渡す(もちろんリズム隊がそれを受け取れることへの信頼もある)。このギターソロは、狭い意味の「承認欲求」のそれではなくて、バンドの全体へ寄与するためのそれ。

 しかし、きちんと音楽教育を受けたなどのバックボーンは特に描かれていないと思うけど、すごいキープ力だよこれ。

 日常パートでは周りから引っ張られているぼっちちゃんが、逆転するかのように周りをリードするのがグッとくるし、同時に、これははからずも、廣井きくりが路上ライブでやってくれたこと(#6)を、ギタープレイヤーとしてのやり方でやっていることにもなっているとみることもできる。だとすると、意図してではなく結果的にだろうが、「敵を見誤るなよ」と、ほかの3人にギターで示していることになるのだ。

2.虹夏とリョウ+喜多ちゃんとの気づき方のちがい

 どちらも「あっ」という反応だけれども、その身体の動きには描き分けがある。もちろんその瞬間は読者にはその中味はわからず、後から分かる。二度読みで楽しい点。

 

3.ギターを左右に揺らすぼっちちゃん

 押し入れに籠もる日常パートのぼっちちゃんぼイメージからすると、前にのめりこむ姿勢との親和性が高いが、ここで、左右に身体やギターを振る描写があるのが、なんだかよろしい。モーションキャプチャーをベースにはしているかと思う描写だが(違っていたらすみません。アニメのことはあまりよくわからない)、モーションキャプチャーをすれば何でもリアルに描けるわけではないし、リアルに描いても演出に耐える絵はまた別なのだろうと推察される。そうであるにしても絵と動きの「選択」がそこにはあるのであり、それが本当に適切なのだ。

4.ファンになった二人の子のノリと廣井きくりのノリのちがい

(やっぱりちょっと違うかなと削除)

 

5.Bメロの青く照らされるぼっちちゃん

 アドリブかと思しきイントロ前のソロから、イントロ(跳ねるカッティング)→Aメロの動的な展開を経て、Bメロでやや静的な感じになるところ、青い照明で静かに照らされるぼっちちゃんの美しさよ。もやがかった中空がライトで青白く光る。

 アニメの表現史の中に置けば、「月の光で照らされるヒロイン」の系譜の一変奏ともいえるかもしれない。

6.「あのバンド」の歌詞世界

 日常パートでギャグになっているぼっちちゃんの陰キャ行動や陰キャ思考が、「ロックの歌詞」というフィルターを通すと(器のなかに入れると)、あの歌詞になって表れるのか!という発見も楽しい。

 ただ、これは、ロックの言葉で表出することで遂行的に「真の」内面が形を持った、ということではなくて、日常パートのギャグに回収される陰キャ思考と、ロックの歌詞でこのような表れをするものと、どちらもぼっちちゃんの本質であるということは大事だと思う。

 変に恋愛を歌っていない(#4)のもポイント高い。「あのバンド」って、表題からして既に勝ちですよ。ロックは恋の歌のみを歌うものかは。

7.喜多ちゃんの視線を受け止めない・気づかないぼっちちゃん

 #5、#6、#8と積み重ねられてきた演奏シーンで、ぼっちちゃんの目線がどう描かれているか(あるいは隠されるか)は、物語の縦軸を支える表現となっている。

 ぼっちちゃんが顔を上げないで、冥く沈潜するように弾くのは、得体の知れなさとかっこよさがある。そして、それゆえに、目を見せる場面が逆に際立つようになり、すごみがでてくる。

 で、「あのバンド」では、喜多ちゃんの目も注意される。喜多ちゃんは、何度か(すがるように・おどろくように・たしかめるように)目線をぼっちちゃんに向けていて、だが、演奏中、ぼっちちゃんは喜多ちゃんの方を見ない。視線が一方通行なのである。この非対称は何度か繰り返される。

 で、演奏直後、ぼっちちゃんはまず虹夏を見る。そのあと、別に仲が悪いわけではないわけで、喜多ちゃんとも顔を合わせるのだが、

ぼっちが直視する描写が表現上は巧妙に避けられて、描かれていないのである。

 これは8話が投げ入れた物語上の<課題>といえるはずで、となると、最終回(あるいは2期)に向け、このバンドはもう一段階変身を残していると予想できる。

 これは最終回で答え合わせをしてみたい。

8.「私が放つ音以外」の二度のストローク

 最高。カッティングもチョーキングも超絶的なのだが、この箇所のピントのぼやけた向こうでのストローク2回の所作が本当にかっこいいし、クール。もうこれは観て聴いてくれとしか言いようがない。1回めの動作の大きさと速さ、そして2回めの、直後のアウトロのソロのための予備動作でもある動きの小ささと鋭さ。

 このあとはピントがぼっちちゃん本人にあたってザ・見せ場のソロとなるのだが(とはいえ、実は虹夏のドラムとの共闘がアウトロの見どころなのだがね。なお、ここに至るとギターでリードする必要がないぐらいにリズム隊の二人が持ち直しているので、リズム隊の上にぼっちちゃんは乗ってソロを弾いているのである)、その直前、ピントがあっていない描写で、喜多ちゃんがメインを張っている所で自分は支える部分であることを示していて、私などはこっちの方がぐっとくるのである。

 

 とりあえず以上です。とにかく「あのバンド」という歌そのものが、歌詞も曲も演奏も絵も動きも演出も好きすぎる。

 

 最初観始めたときは、主人公の(天性でない)異能の獲得が第1話のオープニング前の数分で済んでしまうのはギャグ成分多めのコメディと言ってしまえばそれまでながらいかにも00年代以降という感じである云々(早口)、などともっともらしいことを考えながら眺めていたのだけれど、演奏シーンで本当にやられた。他の音楽演奏アニメはあまり知らないのだけど、こういうレベルの作品がゴロゴロしているのだろうか(多分ゴロゴロはしていないだろう)。

 

 リアルの演奏をアニメで再現しているのが凄いのではない。いや、それだけでも凄いことだし相当の熱量と技量に裏づけられて成立しているとは思うのだが、リアルをアニメに落とし込むことの先にある、演奏とキャラクター・物語とを関わらせる表現が成立しえていることが、楽しいし嬉しいし驚愕させられるのである。

 

(なお、原作のまんがは未見なので、見当外れのことを言っていないか若干心配はある。まんがはアニメを最終回まで観てから読みたい。)

 

Led Zeppelinのledが過去分詞ではなく鉛から来ているのはいちおう知っています。