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ローグネーション。言葉と図像を手がかりにまんがを「私」が「読む」自由研究サイト。自費持ち出しで非営利。引用画像の無断転載を禁じます。

『GS美神』私注:「ワン・フロム・ザ・ハート!!」編  (30、31巻)【再録】

あるいは、横島決断編。ルシオラが一躍ヒロインになってしまった決定的な一編である。
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「南米で最初の基地を作ったとき、骨と一緒に金が出てきたのよ。」
 「私を月まで連れてって!!」編の回収。

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(そういうつもりで──!?)
 前のページ、P187-1,2,5,6では、ルシオラが無表情に描かれている(とくに【目】の描写にその印象が強い)。

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横島の落ち着かない表情とは対照的でして、読者も横島も、この無表情によるかぎりは、ルシオラの胸中をはかりかねるわけです。
 けれどもこのコマでルシオラの胸中を横島(と読者)は知る。ならば、前のルシオラの無表情は、作品レベルではこのコマの横島の驚きを逆に強調するための表現であったこと、また登場人物レベルではルシオラもまたどういう表情をしたらいいかわからなかったようであったことが読みとれます。

 相手が自分より優位に立っているように見えて、しかし、相手も、その内心では自分と同じように悩み、また緊張感に堪えかねていたということがわかる瞬間。

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「本気で、言ってくれてるの?」
 「本気で言ってるの?」じゃなくて、「言ってくれてるの?」に注意。
 前の項とも絡みますが、この段階での横島の認識としては、自分たちの関係は、

  ルシオラ > 横島

です。これは単純に力関係にひきずられてでもあるし(たとえば「あの手でいつでも俺をブッ殺せるんだ、あの女は……!!」30巻P91-2)、また、ルシオラの真意をはかりかねている面があるからでもありましょう。
 けれども、ルシオラ自身はそう思っていない。力の強弱なんて問題にしていないわけです。「~してくれる」というのは「わざわざ~する」というニュアンスを含む。「(本来ならそうしなくてもいいところを)自分のためにわざわざ~してもらっていいのか」というこうしたルシオラのセリフからも、ルシオラの認識としては、

  ルシオラ < 横島

という関係になっていることがうかがえるわけです。

 さて、このことは、いっけんうらやましいように映るかもしれないけれども、一般論的にいって、そういうことが男にとってはときとしてあまりに重い場合があります。
 そして横島にとっても、横島なりの重さを背負ってしまう。そう、「でもよ…!/死んでもいいくらい俺が好きなんて…/ひと晩とひきかえに、命を捨てるなんて…/そんな女抱けるかよッ!! 俺にそんな値打ちなんかねえよッ!!」と。
 ことここに至っては、ルシオラの認識が、  ルシオラ << 横島  というところにまである、と横島には感じられるからである。その期待につりあうように、横島はふるまっていくことになります。

  ○    ○    ○    ○

 横島をめぐる不等号について、もうちょっと書き連ねれば、いくらかここでも触れてきたところだけれど、横島はいろんな女性に飽くなきちょっかいを出しているわけです。その現象だけ見れば、

  女性 < 横島

と考えられる。
 んが、横島は同時に、無意識にでも、ツッコミを待っている。それは例えば、「スタンド・バイ・ミー!!」編の冒頭、美神の入浴をのぞいても何もツッコまれなかったことにとまどう横島の姿から逆に読みとることができる。そうであるならば、現象に反して心理的には、

  女性 > 横島

という不等号を横島は求めていることになる。
 これが成り立たないシチュエーションでも、横島はむりにでもこの不等号がなりたつよう思いなしていくことになっていることは既に見ました(24巻p166-5)。『極楽』中期以降の横島の女性との<関係>はそうやって成り立っている。
 ところが、ここでのルシオラはそうではない。ツッコミがあるかぎり、横島は「安全地帯」(『MISTERジパング』)にいられたのに、ルシオラはツッコまず、ここではっきりと横島は心理的な安全地帯から出ることを求められます(小鳩やおキヌもこの<関係>を揺るがしつつはあったのですが)。横島がこれまで求めてきた不等号関係とまったく正反対の不等号関係をルシオラは求めているわけです。「俺にそんな値打ちなんかねえよッ!!」と叫ぶ横島には、そのとまどいを見てとってもいいはずでしょう。
 とまどいながら、横島はどうふるまうか。ここにおいて横島は、ルシオラの<期待>する不等号関係に、せめて等号関係ぐらいまでに、つりあおうとする。それが、「アシュタロスは───俺が倒す!!」という唐突な決意表明でありましょう。これは、あまりに大それた発言のように思えるけども、その裏側に、横島のつりあおうという心理を補助線として読み込んでいいはずです。

 ちなみに、不等号をめぐる問題は、<呼称>からも見てとることができる。横島はルシオラをこの編では、いまだ「あんた」としか呼べません(たとえば「奴さえ倒せば、あんたも──ベスパもパビリオも自由だ!」31巻p38-1など)。
 しかしながら、次の編(31巻p85-1)に至ると、親愛のニュアンスを含めた、「おまえ」という呼称によってルシオラを呼ぶ横島を確認することができます。この変化は、前の編で触れた、ルシオラによる横島の呼称の変化(「ポチ」→「ヨコシマ」)と対応しています。

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「マジ、マジ!! 美神さん最近露出足りんし出番減ってるし!! 美少女キャラ大歓迎!!」
 「作者」や「編集長」はおいてといて、──横島は、ほんとは覚悟なしにこんなセリフをはいちゃいけなかったのかもしれない。横島は自分を取り巻く三者一体環境の強固さに自分では気づいていない。
 「とにかく………!! な!?」というのが、横島の優しさに端を発しているだけに、いま思うとつらい。
 <優しさ>がそのまま<恋>や<愛情>に結びつくかどうかといったら、古今東西難しいわけで。そして往々にして<優しさ>と<恋>の違いにさえ気づかないことだっていくらでもあるわけで。そしてまた、同時に横島は「こ…こんなに!! こんなにあっさり!! 女のコとうまくいったの初めてだ!!」なんても思ってる。

 言い換えてみよう。

 <優しさ>がはからずも相手を引きつけ、しかし相手の想いの深さに気づかず、またとまどい、でも自分たちは<恋>をしていると思い、また一方でうまくいくとかいかないとかというようなレベルで案外<恋>を理解したつもりになっている。

 そうすると、これのどこがわたくしたちの経てきた<恋>と違うのだろう。横島=「煩悩少年」であることに目を奪われがちですが、横島とルシオラの<恋>は、横島の特異なパーソナリティに還元させる性格のものではなく、普遍的な<青春のにがい恋>として描かれようとしているのであろうとわたくしは思います。

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ぷしッ
 そりゃおどろくわな。

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「コードに触れる行動をとれば、その場で消滅しちまうんだよ!?/人間とヤれば、コード7に触れる…!! それでもあんた、ヤる気!?」「ヤるなんて下品な言葉使わないでくれる!?」
 『旧約聖書』「出エジプト記」20章、モーゼの「十戒」(Ten Commandments)。映画でも有名なセリフ、「七。汝、姦淫するなかれ。」
 『c-www』「元ネタ大作戦」への投稿、「No.336」(尉雄氏)にて、数字の「七」の一致まで先に言いあてられた。以下、引用。

やれやれ。アシュタロスの神様ごっこも ほんと病膏肓って感じですな。

引用終わり。この読みは慧眼。

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「でもよ…!/死んでもいいくらい俺が好きなんて…/ひと晩とひきかえに、命を捨てるなんて…/そんな女抱けるかよッ!! 俺にそんな値打ちなんかねえよッ!!」
 p190-2(4項目上)参照。

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「でも、約束する!!/アシュタロスは───俺が倒す!!」
 同上。

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「奴さえ倒せば、あんたも──ベスパもパビリオも自由だ!/そのあと必ず、寿命のこともなんとかしてやる!/俺にホレたんなら、信じろ!!」
「今までずっと、化け物と闘うのはほかの誰かで、/俺はいつも巻きこまれて手伝ってきたけど…/でも今回は、俺が闘う!!」
 「やりたいだけで」アシュタロス打倒を約束してしまっているように、ルシオラも言うし、横島も次ページで「煩悩」とか言ってるわけですが、そういう動機だけではなく、やっぱり三人に自由になってほしいという動機がまず横島にあることを見逃してはなりますまい。
 アシュタロスの支配から自由になれば「ヤれる」わけだから、結局は目的はそこにあるように思われるが、それなら横島がベスパやパビリオを持ち出す必要はないわけです。<優しさ>と<煩悩>、どちらが優位というわけではなく、横島のなかでは併存している点が重要でありましょう。

 そして、横島は、美神にも、またおキヌにもよるのではなく、初めて自ら決断する(21巻p38-4参照)。

 で、ルシオラは?

 「少年まんが」を徹底的にズラそうとしてきた『極楽』が、それゆえにこれまで拒否してきたはずの<少年まんがに求められるべき理想的ヒロイン像>の要素を、多少の変形は施されつつも、今になってなぜか一身に背負わされて30巻で彼女は出現した(29巻で、ではない)。10代の少年の読者を求心する力に満ちたキャラであることはまちがいありません。
 その在り方は、物語のなかであまりに突出しており、横島に<少年まんがに求められるべきヒーロー像>としてのふるまいを要求さえしてしまう。
 <物語>のなかで彼女はいびつすぎる。ミュータントといっても、フリークスといってもいいのだが、<物語>は生み出してしまったこの<いびつさ>と、これから5巻分をかけて対決していく。ぎりぎりのバランスで。または、──この<いびつさ>は、<物語>と5巻分をかけて、絶望的な予感をつねに抱かせながら、対決していかなければならなくなっていく。


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ワン・フロム・ザ・ハート!!
 元ネタは映画のタイトル。「ワン・フロム・ザ・ハート」。何を「心から」なのか。横島はこの編の最後にこう言ったのを既に見た。
「でも、約束する!!/アシュタロスは──/俺が倒す!!」
 けれど、横島の「約束する」は、アシュタロスを倒すことをである。
 ここから先、横島からルシオラへ想いを伝えるような場面は描かれない。そもそも、横島がルシオラのことを、ルシオラが横島のことをそうであったように恋していたのかどうかは、わからない(いや、わたくしたちはほんとはわかってる。「甘い生活!!」編はそのへんの機微を残酷なくらいに描ききった編なのである。またそのことは後に触れることになりましょう)。だけど、横島じしんはそれに気づいていない。一般論的に言ってもいいのだけれど、相手の想いに触発されて自分も「熱く」なって、そしてそのことを、そのときにおいては「恋」だと疑わなかったとしても、思い返すと自分が抱いていた想いが本当に「恋」だったかどうかは、わからないものなのだ。
 もう少しゆっくり、二人の「恋」を追っていこう。ただ、予見的に言っておけば、ルシオラの死ということの重さをあえて無視して、横島の立場から限定的にみれば、この物語は横島の、にがすぎる<青春の恋>の物語になる。アシュ編は、<横島成長譚>の正確な意味での終着点にほかならない。

 (2000/08/13。2001/06/26改訂。03/08/17新訂、20/11/25再録、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による。