"Logue"Nation

ローグネーション。言葉と図像を手がかりにまんがを「私」が「読む」自由研究サイト。自費持ち出しで非営利。引用画像の無断転載を禁じます。

『GS美神』私注:「ストレンジャー・ザン・パラダイス!!」編その他 (28巻)【再録】

あるいは、未来横島遭遇編。時間移動ネタが好きだなあ、としみじみ思わせる一編である。

■「ストレンジャー・ザン・パラダイス!!」
01 25 5
「やっぱり…!! 「カマイタチ」だわ!!/三匹一組の風の妖怪!」
 藤田和日郎うしおととら』でもでてくる。一体に、まんがの内容はぜんぜんちがうけれども、扱う題材のフィールドが近いことがあって、『うしとら』と『極楽』とでかぶる妖怪・魔物・エピソードはけっこうある。『うしとら』でいう「白面の者」は『極楽』ではタマモがそれだし、式神の登場は『極楽』が先、とか、そのへん先後関係を追うのもいいし、描かれ方の違いだけ見てもけっこうおもしろい。
 水木しげるゲゲゲの鬼太郎』じゃないが、妖怪を扱うようなまんがは膨大になっていて、作家は、オリジナルな「妖怪」を作り出すのでなければ、その題材を昔語などで触れられる「妖怪」に求めることになる。といって、その題材は無限ではなく、とうぜん「あっちのまんがでこう登場していた」妖怪が、こっちのまんがでちがう形で現れる、という現象があちこちでおこりうるわけです。同じ題材を、そのまんがの展開のなかでどういうふうに料理しているか、が問題になりましょう。
 とはいえ、カマイタチはここはそんな問題じゃないか。チョイ役。

01 32 1
「自分だってしょっちゅう「しまった」とか言ってるクセに!!」
 たしかに。

02 50 1
「未来は常に変化するから、おまえも俺と同じ道を進むとは限らん!」
 「時間移動」は、『GS美神』のなかで重要な位置をしめる能力だけれども、その実体はひとつの論理で説明がつけられず、矛盾が生じてしまう。合理的に解そうとすれば、最低でも、時間移動原理は各編ごとにそれぞれ性格が異なるものである、とする必要があろう。
 本編「ストレンジャー・ザン・パラダイス!!」にかぎっても、どれかを説明づけようとするとどれかが説明しがたい。せめて、横島が刺されて未来横島が血を吐くところ(P64)さえなければ、なんとか秩序立てて説明できるはずなのだけど。
 というわけで、次のことばを捧げて、時間移動については以後、基本的には棚あげしておきたい。
「カメラの切り替えまでしたらフォローのしようがないっ!!」
まちがえた(ほんとはまちがってない)。こっちだ。
「まんがの時間の流れがどーなってんのかはともかく、いつもありがとう…!」([清く貧しく美しく!!]17巻P168)
 で、むしろここからが強調しておきたいところなのだけれども、時間移動の論理を考えるのもいいが、「未来は常に変化するから」という発言が未来横島の発言であるところにこそ注意したい。厳密にはそれが真実なのかどうかはわからない。だが、未来横島にとってそれは、ぜったいにそうでなければならない、と信じなければならないことなのである。「やはり歴史を変えるのは無理なのか!?」という発言とその心情(P64-1)も考えあわせておきたい。

02 51 1
「文珠は同時に複数の文字を使うと応用範囲が劇的に広がるんだ。」
 ある意味では遠い伏線。

03 72 3
「ここで君まで感染したら、話がまたややこしくなる!/それに、これは──俺たちの問題だから…」「は…?」
 この編を通じて未来横島はおキヌの眼をはっきりと正視できているコマはない。この未来横島の過去には(ややこしい)「何か」があったのである。でも、とうぜん「何か」があったろう。そうでなきゃ却って困るし、おキヌに対して何の逡巡も描かれないのだったら、この横島はほんとうじゃあない。

 もっとも、この未来横島+美神のみが物語の必然的未来形というわけではないことについては、物語のなかで非常に明快に提示されている。

03 73 4
「いっそ、この女とどーこーというオプションをはずせば…」
 現在横島をして、眼前の未来横島ではないかたちの未来を想像させることで、未来横島を相対化させている。次項も参照のこと。

03 75 2
「こんな生活もうイヤ──!! 別れます! さようならっ!!」
 横島の想像する未来は、あくまで横島の想像に過ぎない。むしろ、こういう想像をしてしまうこと自体が、ひじょうに横島の対おキヌ観をはっきり示していておもしろい。
 ひとつ補助線を引いておくと、「俺ってこんなにコンプレックス強かったのか…」(P51-4)という、未来横島が現在横島を見て苦笑するところの心内語が挙げられます。横島の未来の想像は、横島の一方的な決めつけに他ならない。けれど、それは横島の「コンプレックス」ゆえの産物であって、じっさいこれまでのおキヌの横島への想いを考えあわせれば、少なくとも、おキヌの側から出ていくことは、まず考えられないのです。しかし、横島は出ていくと決めつける。この決めつけがあるかぎりは(他にも24巻P166-5 「こう見える」などがありました)、<三角関係は安泰>(<膠着>ともいえるが…)なのである。
 ちなみに、横島の「コンプレックス」は「そんな…俺、成績よくないしっ、ほかに特技もないしっ…!!」(P75-2)というのにも表れていよう。何度も繰り返してきたように、常に横島は自分を過小評価しているのである。

 あと、この想像のなかで、横島がじつは「おキヌ」と呼び捨てている点は、さりげないけれど注意しておきたい。横島によるおキヌの呼称は「おキヌちゃん」がデフォルトであるかと思いきや、この妄想では「おキヌ」と呼んでいることから、現在の横島におけるおキヌへの距離感を逆に看取できる。

04 86 1
のび太はそれがイヤでしずかちゃんと結婚するように未来を変えようとするのよね。でもさ──/それってしずかちゃんにはサイテーよね!?」
 「未来を知ったらしずかちゃんだってきっと同じことをするはずよっ!! 殺すっ!! こいつを殺して未来を変える──!!」と物騒な美神に対して、横島のツッコミが、「しずかちゃんはそんなことはしない──っ!!」であるのが、いい。何がいいかって、そのツッコミはツッコミとしてズレているのがいい。この一ページ、藤子不二雄への、屈折した愛ないしはオマージュ。

04 95 1
「そ…そうかっ!! 二人分の霊力で…」
 鼻血が止まる。

 煩悩による霊力の発現、というようには見えない。『極楽』第2話にあたる[オフィスビルを除霊せよ!!]に、「横島クンの精神集中が異常に高まって、一瞬、霊能者なみの霊力が出たのね。/私のパワーと相乗されて、悪霊を吹き飛ばしたんだわ!」(1巻P54-2)とある、「横島クンの精神集中」の状況とは、まったく逆である。
 このことは、初期『極楽』と、長編化する『極楽』との違いを表す、じつに象徴的な事例だろう。どっちがいい悪いではない。
 この違いを苦々しく受け取る向きもあるかもしれないけれど、アシュ編の終わり近くで、この問題はたぶん状況上では最善のかたちで止揚されていると読むのが私見です。そのことは35巻で改めて。

04 100 5
「本人がいいんなら…いーんじゃない?」
 「忘」を使ったことは、例えばリセットボタンを押すようなこと、とたとえてしまうと正確ではない。未来横島(+未来美神)に出会ったことそれ自体は「忘」れる=リセットされても、美神と横島を取り巻く時間は刻々と動いていたわけであるし(つまり、時間そのものがリセットされるわけではないし)、また、美神が毒を既に血清で治療してしまっている。その点からしても未来とは違ってしまっており、横島の「し、しかしそれじゃ…いいのか?」(P100-1)という(また自分たちと同じ人生を一歩違わず歩んでしまうぞ、というようなニュアンスの)心配は、あたらない。

 そういう時間の問題もさることながら、なによりも、この主人公は、そもそもある決まった未来に自動的に進められてしまうことを望むような人ではない、その一点はいうまでもないことでして、大手を振って、彼女は自らの未来をきっと自らできり拓いていくはずなのである。それが「こんな女、私とは別人もいーとこよ!」(P99-4)なのであって、そのセリフはいかにも彼女にふさわしいのだけれど、そういいつつ、美神は「こんな女」の存在を自分の未来の可能態の一つとして、「本人がいいんなら」と受け入れはした、そのことは重要なのだろう。

 とはいえ、受け入れはしても、はたしてなぜ未来美神が「あんまり幸せそーにあんたのことのろける」「こんな女」に<変わった>のかを今の美神自身がわかっているかどうかは、実は疑わしい。未来美神は、自身の成長もさることながら、横島と恋をし、結びつくに至ったことによってこそ、それまでの自分が<変わった>はずなのだ。そこに、まだまだ今の美神は気づかない。

04 101 1
「美神さーん。もう、入ってもいいですか?」
 本編中、据え置かれてしまったおキヌが、未来横島の退場とともに元の位置に戻る。このセリフは象徴的に用いられていましょう。そして、未来おキヌの可能性もまた、うち消されたわけではないのだから、「入ってもいい」のである。


(2000/05/23。03/08/17新訂。20/11/22再録、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)による。