"Logue"Nation

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『GS美神』私注:「スタンド・バイ・ミー!!」編(23巻(1~5))【再録】

あるいは、おキヌ「再生」編。
□キーワード:類同コマによるオーバーラップとその乗り越え,生/死,1巻・20巻との対応。

01 33 2
「きゃ…!!」ドンッ「のわっ…!?」/「大丈夫ですかっ!? おケガは…!?」「てーなっ!! どこ見て歩いて──」
 すでに別に指摘されているところだが*1、1巻第1話で横島に体当たりして出会うコマ、
「えいっ!!」ドンッ「大丈夫ですかっ!? おケガはっ!? 私ったらドジで…」(p12-3)
と対応している。

 

01 39 1
「おキヌちゃんはまだ幽体が肉体と完全に重なりきってないの!」
 容れ物が肉体で、本来そこに入っているのが「魂(幽体)」らしい。「霊」と言っているのは大体、成仏できなかった死霊を指すようで、場合によってそれ自体で意思を持ちうる。というように、いちおう考えられる。

 

03 74 4
「状況をわきまえてくださいっ!!」「おまえがゆうなーっ!!」
 さりげなく横島がおキヌをかばう。

 

04 82 5
「わっしょいわっしょい」
 警官たちが「わっしょいわっしょい」と車を持ち上げている、ってのは、たぶん『ルパン三世カリオストロの城』が元ネタ。

 

04 83 3
「あ…悪霊の数がまた増える…!! 文珠の結界ももう保たんぞ…!!」
 文珠は必ずしも完全ではなく、それよりも強い力を持つものにはかなわないことが提示される。

 

04 87 4
「守ってくれて嬉しかった…! でも…この霊たちの辛さがわかるから──/もう…」

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 絵の構図も、誰かのために犠牲になろうとするということも、[スリーピング・ビューティー!!]20巻p137-3、

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を重ねなければ(オーバーラップさせなければ)、このコマは読めない。逆に言えば、[スタンド・バイ・ミー!!]のこのコマは、かつての[スリビュ]のコマを重ねて読むことを読者に要求している。

 [スリビュ]をオーバーラップさせてしまうのは読者だけではない。ほかならぬ[スリビュ]のコマでおキヌに想われた、横島も重ねてしまう。
 次ページ「「もーダメだー」は私のセリフじゃないんですけど…」で、おキヌがギャグ顔になっているのに、横島はシリアスなまま、という珍しいズレ( 逆のズレ──おキヌシリアス、横島ギャグ、なら他にいくらでもありえそうだけど。 )が起きてしまっているところにきわめて示唆的だが、横島の真剣さは、おキヌを自己犠牲に至らしめてしまったという[スリビュ]の過去を再び繰り返してしまいそうな予感を、横島なりに覚えるから、であろう( なお、「もう」というセリフそのものについては、早苗に憑依して言うセリフ、「どっちみち私は300年も昔の娘です。本当なら二人に会えるはずなんかなかった。/だから──もういいんです。」(20巻p44-1)にも対応していると思われる)。

 横島は、そんなことはありえてはいけないという表情と口調で、「あんな霊らのために死ぬなんてバカ考えるな!!」(p88-2)と言う。いっけん、おキヌの「この霊たちの辛さがわかるから」とは美しい。だが、それゆえに自分の死を軽んずることは、生を軽んずることと等しいはずである。だから、死霊たちの気持ちがわかるといいながら、結論として「この霊たちの辛さがわかるから」もう死んでもいい、となってしまうのは、まちがった道筋に迷い込んでしまっているのである。だが、それを引き戻すのが横島の真剣さだった。

 かつておキヌを犠牲にさせてしまった(もっとも結果的には犠牲にはならなかったけれど)記憶を持つ横島。彼がおキヌを諭すとき、そこには生への執着(エゴ)が露呈した。それをおキヌがどう捉えたかはわからない。だが、その横島が霊団に巻き込まれたとき、おキヌは「その人は私の大事な──」(p89-3)と言いかけてしまう。これは、「大事な」人がいる=おキヌ自身の生への執着、も露呈してしまった瞬間だったのだ。
 そういう、生きていくためには目をそらしてはならないエゴを自らも抱えていることが示されてこそ、彼女は「死霊使い」として<生>と<死>を司ることができていくのではないか。

 表現としての【オーバーラップ】。物語は、コマの構図・背景・状況をわざと重ねることで、おキヌをかつてと同じところに据え、しかし今、それを乗り越えさせる。それは、20巻の長きにわたって幽霊であった彼女が、再び<生>を与えられ歩きはじめるための<儀式>であった、と言い換えてもいい。この瞬間が、彼女の<再生>の瞬間だった。ついにここでおキヌは真に「生きる」ことを獲得するのだ。

 これ以後のおキヌは、ほかの誰にも背負えない主題、<生>と<死>を、一面で司るようになる。その終着が、最終巻の「地上より永遠に!!」であり、それは最終話「ネバーセイ、ネバーアゲイン!!」での美神・横島の会話によって照らし返されてもいる。

 

05 99 2
「やだなあ、おキヌちゃんをのぞいたりはしませんよ!」
 横島からストップをかけてしまう…。三角関係が今後も成り立つための新しいバランス装置その1、といえましょう。

 

05 99 3
「ま…まーまー。」
 21巻p7-1、「いつもならおキヌちゃんが「まーまー」ってとめてくれるのに──!!」が、ここでようやく回収されることになる。

 

05 100 1
「時々、幽霊だった頃のクセが出て失敗もしますが、」
 その失敗はすでにゆうきまさみ『究極超人あ~る』で小夜子がやった(「こないだまでのクセが出ちゃうのよね。」(「小夜子がきたの巻」7巻、p143-144))。

 

05 109 4
「い…いや、俺は…! 話せばわかる…!!」
 伊藤博文

 

05 111 4
「横島さん……」むにゃ/「……!!」
 酔いつぶれて横島に背負われるおキヌ。
 ここには、おキヌの横島への恋情が初めて明確に描かれた「海よりの使者!!」オチのコマ、肩に乗っかるおキヌ(1巻142-3)が思い起こされる。……というのはやや深読みか。
 でも、幽霊から「生身」になったことで、おキヌの横島への好意はどう帰結するのかが物語一編の興味として提示されているのはまちがいない。

 

05 112 2
「………/ま、いいか」
 バランス装置その2。
 「大人」である美神は、三角関係に対してはこう言って自分から引いてしまう性格があるが、「ま、いーか。」なんて言ってるからのっぴきならなくなるのがアシュ編である(33巻125-3)。


(2000/03/16、01/04/01四訂。03/08/17新訂。20/11/16再録、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による。)

*1:哀別句巣氏「限りない優しさへの軌跡」(『紙の砦!!』4、1999・12)。<体当たり>=おキヌ、<頭突き>=美神、の考察は卓見。