"Logue"Nation

ローグネーション。言葉と図像を手がかりにまんがを「私」が「読む」自由研究サイト。自費持ち出しで非営利。引用画像の無断転載を禁じます。

『GS美神』私注:「サバイバルの館!!」編 23巻(1~4)、24巻(5、6)【再録】

あるいは、おキヌ横島接近編。おキヌ「再生」後の美神チームを描く一編である。
□キーワード:「足」をくじくおキヌ,庇護者としての横島,三位一体。

 

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「1990年代。文明はあらゆる土地に広がっていた。」
 おキヌが復帰したこともあって、このまんががどういう物語なのかを、人物紹介をかねて改めて語り直す。長期連載では、こういう語り直しの回がたまにある。それは、新しい読者のための紹介という意味あいも大きいが、ここの場合、やはりおキヌが戻ってきたことと切り離すべきではないだろう。これまでのGS世界の復習に見えるけれども、

 かつてと違うこと=おキヌが「生きた人間」であること、

によって、これまでの物語世界とどう同じでどう違うか、さらにどういう方向性を持っていくのかが、さりげなく示されている点は注意される。

 

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「おそらく、ある程度ヒーリングもできるだろう。」

 さりげないようだが、やや唐突。

 

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「我が社が世界にさきがけて開発した心霊兵器──」
 あらゆる作品で触れられる一大テーマ、「科学と倫理」(科学と自然の「折り合い」。または「分をわきまえず暴走する科学」)のバリエーションである。
 参考、「朝は寝床でカタルシス。/必ず公害のせいで妖怪が住みにくくなったので、社会派妖怪がまあ現れてみた。」(ながいけん神聖モテモテ王国』5巻、小学館、1999(初出1998))

 

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「なん発も使えないんでしょ!?」「あ…あと2コくらい…かな?」
 「文珠」は(いちおう)なんでもできるアイテムだからこそ、個数の制限がネックとして語られなければならない。『ドラゴンボール』の仙豆みたいなものだ。

 

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「あの三人──ひとりひとりの霊的戦闘力が高すぎる。」
 ここに限らず、横島の評価はつねに他人から正しく評価される。

 

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「こーなったらペシャンコにされる前に一発──」
 伝統儀式みたいなもの。

 

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「美神さんのことはともかくおキヌちゃんだけは俺が守らねば…!!」
 [スタンド・バイ・ミー!!]の「おキヌちゃんは俺が──!!」(p89-3)というセリフを踏まえて読んでいい。「──」の部分がはっきりとここで示されたわけです。
 [スリーピング・ビューティー!!]までは、そもそもが幽霊だったのだから、「死=別れ(死別)」というふつうの構図のなかにおキヌはおかれていなかった。あるいは、ともかく死にようがなかったわけで、横島たちはおキヌとの別れを考えようもなかった。それが[スリビュ]では、「再生=別れ」という特異な形で、いったんおキヌと横島たちとは別れを告げることになるわけだが、それはさておき、再登場後は、おキヌも生身なのだから「死=別れ(死別)」の構図のなかに置かれることになる。読者にも頭を切り替えるよう、改めて強調されている。
 おキヌ自身の自覚としても、その次ページに「私…二人の足でまといにはならないって決めたのに…」「幽霊じゃない私はお荷物ですよね──」とある。ということは、横島のGSとしての成長といっしょに、おキヌのGSとしての成長もこれからの物語の一つのテーマになるだろうことが予感される。しかしながらそれは次編[バッド・ガールズ!!]ぐらいにとどまってあまり発展せず、以降の物語では、おキヌの成長を強調して物語の時間を進めることは、ある意味放棄されている。それは、おキヌを成長させてしまうことが三者の関係をよりのっぴきならないものにしてしまうからでありましょう。

 さて、横島にとっては、「美神=守ってもらう(すがる)対象」だが(とはいえ、いざというときは「戦友」「パートナー」だけれど。また、あくまで横島がそう思っているだけであって、じっさいは美神もまた、横島に守られている。文珠の「護」=護る、が象徴的)、「おキヌ=守る対象」になったことになる。逆に言えば、【誰かを守れる力をいざというとき持つ者】として、横島が語られる。次項で詳述。

 

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じ~ん
 この「じ~ん」は、横島の微妙な照れまでをわかっていて、だからこそそこに優しさを感じ、感動しているもの。
 それにしても横島はかっこよすぎないか、とさえ思わせます。【ふだんはおちゃらけているけどもいざとなるとあんがい頼りになる男の子】、または【危機にこそ人の本質が見える】という少年まんがの一つのキャラパターンを着実に踏んでいるわけである。もっとも、予想どおりギャグに回収されるわけだけども。
 ただ、今言ったような「人の本質」として一方では読んでいいのだけど、もう一方で、おキヌの不在中におキヌの知らない横島の成長があったのであって、横島の「成長」という面からこの場面を読んでもいい。

 また、実はこちらの方をここでは強調しておきたいのだが、思い返せば、そもそも「足をくじく」こと自体が、おキヌが生身であることをまず読者に象徴的に訴えていたはずなのだ。なんとなれば、一般に幽霊には足がないからだ。もちろん、幽霊おキヌの足は描かれてはいたけれど、それが実体的なものであったとはいいがたい。

 これまでのおキヌの横島への好意は、大体は横島の庇護者としての眼からのものだった。それがここでは、おキヌは生身であるがゆえにケガをし、横島の介抱を受ける。つまり、見守る視線が「横島←おキヌ」だったのが「横島→おキヌ」となったのである。見守る視線が逆転しうるということ。そしておおげさに言えば、ここでのおキヌは、横島のやさしさをこれまでとは全く違う角度から新発見した。幽霊をやっているときからおキヌが横島に好意を抱き続けていることはいうまでもないけれど、その内実において一大転換をここで迎えたことには、最大限注意してよいのだ。この「じ~ん」はそういう「じ~ん」なのではないでしょうか。
 とはいえ、「横島→おキヌ」の視線もまたしっかり残っている。その究極が27巻p91-3です。さりげないけれど、「横島にとっておキヌとはどういう存在なのか」を究極に映し出す一コマ。

 

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「…大好き!」
 世が世ならこれは告白である。面と向かっては言えない、でも口から出てしまう瞬発的な想いが、目を【斜線】隠すことで逆に心の内面を示す手法で描き出される。ちなみに口元も微妙にいいのだが、もうひとつ、「コツン」という書き文字がこのコマの隠れたアクセントであろう。p73-4の「しかも今は生身っ!!」というセリフはあの文脈ではギャグだったけれども、この「コツン」で瞬間的に「生身」であることを今度は横島にとつぜんに(感情に意識が追いつかないくらいとつぜんに)実感させる。
 以上、「生身」にこだわってきた。その視点からいうと、次編のおキヌのセリフ「…ったく!!/幽霊だったときはスケベってなんだかよくわかんなかったけど…!/男の子って、みんなああなのかしら!?」(24巻p154-1)も、実は見逃せない。

 

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「お…おいしい…!!これはおいしい…!!」
 そういうキャラであり続けなければいけない。「はーん」はいうまでもなく久米田康治より。

 

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「「こーなったらもー」!?「で」「いこう」!?」
 例えば他の女性キャラにとつぜん抱きついてはりとばされるような怒られ方とは、一ひねりも二ひねりもちがう。
 「えっ!?私が3号なんですか?」(29巻p17)と同軌だと思う。

 

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「一階から順に上がってきてくれたまえ。」
 非常によくあるパターンで、少し思い浮かべるだけでもこれを取り入れているまんがや映画は膨大である。ムラサキ曹長はいかにも鳥山明らしいナイスなキャラでした。
 ゲームだって、「スパルタンX」(任天堂)とか「ドンキーコング」とか、初期からしてそうだった。
 参考、「なるほど 立場は逆になるが「死亡遊戯」のパターンだな」(新沢基栄『ハイスクール!!奇面組』9巻(集英社、1985(初出1984))p28)。

 

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「この方がてっとり早いわよね」
 上述のパターンを覆すあたりがこのまんがの身上。

 

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「効くかどーかわからんが…」
 もともと横島がやろうとしていたことは、冷静に考えるとかなり人倫にもとることなので、こういうエクスキューズがあると思われる。

 

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「やっておしまい!!」
 このセリフを「タイムボカン」シリーズのドロンジョと切り離して考える70年代生まれはいないのではないかと思わせるほど、私たちの原風景となっていることば。わたくしを含めた多くの子どもたちに、悪役こそが主役なのだと、子どもなりに思わせる番組であった。

 

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「!!」
 横島がGSとしての潜在能力を秘めていることは、「気」に気がつくか気がつかないかで示される。[カモナ・マイ・ヘルハウス!!]などでは気に気づく美神・唐巣神父・ピート・おキヌに対置されるかたちで横島は気づかない(p134-2~4)。気づく横島は、[誰がために鐘はなる!!](「今、結界に小さな穴ができませんでしたか?」10巻p153)が初発。29巻p126-3も参照のこと。

 

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「横島さん神通棍を─!!/私の足に一本…!!」
 「その3」での横島の機転と優しさが、あそこではギャグに回収されたけれど、ここで「図らずも」功を奏すことになる。伏線の張り方としてうまいし、三者一体になって物事を解決するという『美神』世界の理想型が守られるべくしてきちんと守られる。
 また、あまり気の利いた言い方ではないが「情けは人のためならず」(本来の意味での。)的な倫理が、やっぱり抜きがたく『美神』の世界を覆っているわけだ。メインカルチャーサブカルチャーの圧倒的に該博な知識を武器にして、シリアス型の少年まんがの文法をいかにずらすかに心血を注ぐようにみえるこのまんがも、基本形はきわめて少年まんがの倫理をきちんと生きている。

 

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「魔物は決して人間の天敵ってわけじゃないわ。/必要なら闘うけど─時には協力もするし人間と対等なのよ。一方的にもてあそんでいいはずがないわ。」
 わざわざ引くまでもないが、この編のテーマの一つ。


(2000/03/20。04/28三訂、01/11/21四訂。03/08/17新訂。20/11/18再録、語句修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による。)