"Logue"Nation

ローグネーション。言葉と図像を手がかりにまんがを「私」が「読む」自由研究サイト。自費持ち出しで非営利。引用画像の無断転載を禁じます。

『GS美神』私注:「デッド・ゾーン!!」編 22巻(1~9)、23巻(10)【再録】

あるいは、美神横島前世編。アシュタロスが初めて姿を表し、話の縦糸の一端が明らかになる一編。

 

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平安京…!?大昔の京都だわ!!」
 中央を北へ延びる大きい道は言わすとしれた朱雀大路。これを挟んで東側からの視点であるから(ちょっと五重塔からの視点にしては高すぎるが)、美神たちが落ちたのは東寺の五重塔である(大路を挟んで左右対称に、西側には西寺・五重塔があった。こちらは現存せず)。
 平安京最南端の東寺五重塔の上から、北へ平安京、更に北の山々を望む。

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西暦904年(延喜4年)。
 醍醐天皇の治世。高校日本史を選択すれば習うはずの「延喜天暦の治」の「延喜」であり、この治世は「聖代」と讃えられるけれども、この「聖代」とは、同時代よりむしろ少しあと、藤原氏専制の陰に容易に登用されることのなくなった文人・下級官僚などから、「昔はよかった」的に後づけされた思想であるというのが通説。醍醐聖代はその暗部に、賢臣・菅原道真を左遷し、謫死させてしまったという影を背負っている。この後、都では菅原道真の怨霊に貴族たちが恐怖するようになってゆく。

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「道真が死んだのち全国で天災やえき病があいつぎ、」
 菅原道真に関しての、讒言→配流→死→怨霊→都人の恐懼、については、『大鏡』などを参照。醍醐天皇皇子保明親王の早逝、またその子皇太孫慶頼王の早逝も、道真の怨霊と結びつけられて理解されたとみえ、道真はその死後相当経ってから、右大臣復位の手続きがとられた。

 なお、このコマの邸宅の絵は、藤原氏累代の邸宅、東三条殿が基となっているだろう。
 東三条殿は「寝殿造を考える最も重要な邸宅」。「東三条殿に西の対がないのは、『枕草子』でも知られる「千貫泉」が湧いていたからである。」(秋山虔・小町谷照彦編『源氏物語図典』東京:小学館、1997、24ページ)。なるほどたしかにこのコマを見ると、西の対がなく草木が植えてあるのがわかる。

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「この当時呪術は国家が厳重に管理していて…」
 国家宗教としての仏教や陰陽道と、そうでない民間のものとの微妙な関係は、平安文学のなかでもしばしば出てくる。

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「とが…なくて死す…と…」
 壁に高島が書いているように、「いろは」四十七文字を七文字ずつ改行すると、末尾の文字は「咎なくて死す」(罪もないのに死ぬ)となる。
 年末になるとおなじみの「忠臣蔵」は、歌舞伎や浄瑠璃ではもともと『仮名手本忠臣蔵』という題だけれど、この「仮名手本」とは、赤穂「四十七」士に平仮名のいろは「四十七」文字をかけたことに加えて、この「咎なくて死す」をウラに潜ませた題。

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「肉体だけじゃ困るんだよなっ!? 愛だよ愛!! わかる!?」
 <少年まんが>の「倫理」。性描写のあるなしよりなにより、主人公格はまずこの「倫理」を踏み違えてはいけないらしい。

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平安京は有史以来最も霊的に計算された魔都」
 東南西北にそれぞれ青龍・朱雀・白虎・玄武を象徴する地形を持つ土地をむりやり探して、そこに桓武天皇の794年に都市を建設した。それが平安京、現在の京都市
 とはいえ、それが実際の生活空間として活動し始めると、治世者たちの初めの意図から外れて、もともと湿地に近かった南西部はさびれて、一方で北東や北が栄えていくことになる(『池亭記』982?)。これを気の利いた言い方で言い換えれば、「人為的につくり出された都城が、ほんとうに生きものとして活動しはじめたことを物語っている。」(林屋辰三郎『京都』岩波新書、1962)ということになる。
 鬼門である北東(うしとら)には比叡山延暦寺を置き、都の守護としたこともよく知られる。

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「紙の人形をうまく変幻させた式神
 六道家式神とはまたちがったものとして扱われている。また、当時の一般的な(?)「人形」の用いられ方とその意味は、27巻[私の人形は良い人形!!]p97-1での説明がちょうどいい。

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「(安心してるとゆーかくつろいでるとゆーか…/相棒が多少たよりになってバカで元気であけすけで…それがどーしたっていうんだ?)」
 このメフィストの感慨は、じつは「あけすけ」という言葉がコードになって、「自分に正直であけすけで、その分誤解されたり傷ついたりしてて、/でも、そんな人だから、そばにいて安らげるっていうか……」([清く貧しく美しく!!]18巻p10)
という小鳩のセリフと対応するもの(安らぎ/安心)として、読むことができる。
 小鳩のセリフを美神は黙殺するけれど、美神は横島のそういう良さをごく自然に享受していることが、ここに導き出される。

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「!?/よくわからんがメフィストの「気」が増えたのはこういうことか……!!」
 バックには、『伊勢物語』初段で引用されていることでご存じ、「陸奥のしのぶもぢ摺り誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」(河原左大臣 古今集)、とある。
 しのぶ摺り云々の修辞を除けば、歌意は「誰のせいで乱れはじめてしまったのか。私のせいじゃないよ(あなたのせいだよ)。」となる。
 この「乱れ」は心の惑乱を指すが、道真は場の混乱に置き換えて詠んでいると思しい。すなわち、眼の前でドタバタしてるけど、これは私のせいでドタバタになってるんじゃないよ──と、道真は河原左大臣源融の歌を口ずさんでいるわけである。

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「時間移動する気かッ!!」
 投扇という、扇を投げて標的を落とし、『源氏物語』五十四帖の名前がつけられたそれぞれの決まり手ごとの点数を競うという、風雅な遊びがある。
 ただし、このコマとは逆で、扇の要の方を先にして投げる。

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「諸君に悪さをなした道真の怨霊は私の分身…神になる際、捨てた恨みつらみの怨念なのです!」
 そりゃ『ドラゴンボール』だ。

07 139 1
清水寺…!? 場所がズレてる!?」「大丈夫なの!? 場所がズレたってことは時間も─」
 場所と時間の両方を超えられるタイムマシンと、時間しか超えられないタイムマシンの二種類があって、そのズレが大冒険することになる理由となるのは藤子不二雄のび太の恐竜』。

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「鉄塔と夕日」は、元ネタが指摘されているが、それはさておき、もう少し先へ進んだところで、あるイメージを孕みながら物語で大きな位置を占めることになる。

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「後に、平安京安倍晴明という稀代の天才陰陽師が生まれる。」
 安倍晴明は大ブームを迎えているので特に語るに及ぶまい。京都御所の西、晴明を祀る晴明神社は、行ってみると実際はさしたる神社ではないけれども、屋根瓦まで五芒星がかたどられている。
 陰陽家安倍氏の末裔として、阿倍泰成の名が、のちにタマモ登場にまつわってみえる(36巻p78-5)。

10 19 3
「首を切られてから何にもおぼえてないんスよ…!!」
 このセリフは物語の展開上、横島の口から言わせて確認しておかなければならないところ。
 横島の不在とともに、わりとはっきりと美神の横島への想いが示唆される編だけれど、それを横島は知らないことが、ここで押さえられる。

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ポロッ
「ど…どうしたんスか!? どしたんスかっ!?」「…?/あれ…どうしたんだろ。でも…
なんか…悪い気分じゃないのよね。」
 美神と横島の前世からの因縁が明らかにされ、美神がそれを知ることになり、しかし心情までは前世から受け継いでいるわけではない。けれども、どこか心の奥底で前世の記憶を抱えていることは仄めかされる。
 注意されるのは、おキヌの不在のあいだに、二人の因縁にまつわる話が展開されていること。横島が因縁を知る(前世の記憶を思い出す)のはもう少しあとだが、おキヌは知らない。横島と美神の、自分たち自身さえあずかり知らなかった因縁が強調されることで、三人のパワーバランスはこれまでとはややちがう段階へ進むことになる。そう思う私には、ここの左ページのおキヌの表情の向けられる先が、コミックスだけ見るかぎり、右ページの美神と横島に対してではないのか、と勘ぐって読みたくなるのである。


(2000/03/16、01/02/06五訂。03/08/17新訂。20/11/15再録、一部削除、語句訂正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による。