"Logue"Nation

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DIOのスタンド『世界』のはじまり、または『アナザー・ワールド』について

 荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険』27巻において、ポルナレフがDIOのスタンドに初めて接したあと、そのスタンドの説明を承太郎たちにする場面にこうある。

「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ! 『おれは 奴の前で階段を登っていたと思ったら いつのまにか降りていた』」(74頁)

――未知のスタンド『世界』*1の秘密がここから数話をかけて明かされていく。DIOの『世界』。それは、時を止めるスタンドだった……

……というのはジョジョ読者にとって自明。コーラを飲んだらゲップが出るくらい自明、と言いたいところなのだけれど、本当にそうなのだろうか、と立ち止まってみてもよい。

 「「時」を止めるスタンド」だということを知ってから、このポルナレフの場面を読み返すとき、時をとめてポルナレフの足を一歩下に動かすDIO、という、まあなんというか地味な行為にいそしむDIOを想像することになるわけだが(これはホル・ホースとDIOとの対峙の場面に対しても同様)、それはあとから考えるとそういうことだった(整合性がつくにはつく)というだけで、執筆当初は別の意味づけがなされてもよかったのではないか。言いかえれば、<どちらにも転べる>、フレキシブルな可能性を持った場面であるように思うのである。

 結論から述べれば、DIOのスタンドが「謎」として物語展開上与えられていた状況では、『世界』は、「何かをしようと思ったら逆になる」という論理にかかわる(?)スタンドとして構想されていた時期があったのではないか、ということだ。

 すぐあとに承太郎が、

ポルナレフは追いながらヤツと闘う」……/「おれたちは逃げながらヤツと闘う」つまり/ハサミ討ちの形になるな…」(74ページ)

と、思わせぶりなセリフを述べているが、これも先のポルナレフのセリフとの照応を思わせるのである。

 というのは、これだけ思わせぶりなセリフを布置しておきながら、結局は「時」をとめるスタンドだった、というのは、なんというか、拍子抜けというか、あまりアイデアとしての新しさを感じないのだ。そのへんをしかし花京院の死に絡めておもしろく練り上げていくあたりの手腕はさすがだと思うし、そこにしびれるあこがれるのだが、時をとめる、というのは、物語の歴史においてはさほど新しいものではないはずだとも思うのだ。

 とすると、こう推測してみてもいいのではないか。作者は『世界』を「謎」として提示した。その段階では「謎」の内容をそれほど考えていなかった。連載の進行のなかで、この謎の答えとして論理トリック的なアイデアが生まれればそれで良し(ベネ)。しかし思いつかなかったら、「時」をとめるスタンド、というところで落ちつかせるのもそれはそれで良し。「時」をとめるスタンドだとしてもOK!という保険をかけつつ、論理にかかわりそうな「謎」が布置されたのではないか。(そして思いつかなかった!、あるいは、思いついたがそのアイデアで展開したとしてもすぐ終わってしまいかねなかったりあまり面白くならなさそうだったりすることが見えた*2)。直感として言えば、「止まった時の中では必死に動く努力をしたっていうのに今は動かねえことの努力をしなきゃなんねーなんてよ」(28巻71ページ)というセリフにその残滓もしくは時をとめた能力とした場合の回収を感じる。

 タイトな連載スケジュールのなかで、そういう、構想の変容というべきものはありえてもいいと思うのである。論理トリックなんて、うまく整合性をつけて練り上げられたなら、いかにも荒木飛呂彦が好みそうなアイデアではないか。作者の構想を想定することは、証明もできない、生産性もさほどない営為かもしれないが、「ありえたかもしれないもう一つの『世界』」を想像してみるのも楽しい。
(06/07/30。2018/07/01再録、誤記訂正)

*1:『世界』と書いてあったら「ザ・ワールド」と普通に読める人が今からの話の世界に入門できる。

*2:実際、「時」をとめるスタンドだからこその<燃え>は1巻かけて描かれていき、それは確実に面白い。