この桜をみて一句できたぞ
13 目に桜 山ほととぎす 初詣でには西新井大師
政「季語がふたつもはいってるとはハンパじゃありませんね 組長」
組長「わははは ただ者じゃないだろう政!!
もう一句できた
14 春がきた 夏がきた 秋がきた 冬がきた
きたきた北千住のおばさんは 人形町の水天宮にお参りにいったとさ
みなみな南千住のおじさんは 湯島天神へいったとさ!
にしにし西新井のおとうさんは…」
政「組長組長!! キリがないのでこのあたりでしめましょう」
組長「そうかざんねんだ!」
【初出】 「週刊少年ジャンプ」(集英社)1986・21号。
【初刊】 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』50巻(集英社ジャンプコミックス、1988)「男ならドンとお花見の巻」。
【評釈】
花見をしながら一句詠ずる組長。この13は、02と同想の句である。
組長の左腕・政が「季語がふたつ」といっているのは本当は誤りで、「桜」(春)「山ほととぎす」(夏)「初詣で」(新春)計三つの季語が用いられている。「桜」「初詣で」が春なので、いっけん「山ほととぎす」のみ異質な感じを受けるが、「桜」と「初詣で」も時間は十分に隔たっている。季節の折々を詠む写生の句というレベルをもはや超えて、一句詠ずることによって季節の運行を全てその手に抱こうという、壮烈な試みなのである。そのダイナミズムに注目すべきではあるまいか。
また、14を初めて目にしたときの鮮烈さも忘れがたい。
13より明確に四季を列挙し、「きた(来た/北)」のつながりからさらに、方位と場所を詠む方向へ、<うた>は流れていく。
時間と空間とを全て包括しようとすること。「おばさん」「おじさん」「おとうさん」…という風に人と性さえも詠み込もうとすることは、天・地・人の掌握にもつながっていいはずなのだ。それはかつては王にのみ許された行為ではなかったか。
【参考】
○「目に青葉 山ほととぎす 初がつを」 (『あら野』巻一・杜ほととぎす・素堂)
○「初詣でには西新井大師」(CM)
○「春が来た 春が来た どこに来た/山に来た 里に来た 野にも来た」 (「春が来た」高野辰之作詞)
【補注】
両津のくちから「御所ヶ原金五郎之助左エ門太郎」と呼ばれる組長。31巻で明かされる本名とは異なる。
なお、名字が微妙に漢字を違えていることも注意しておく必要がある。のちにまた、「御所河原」に戻る。
(2000/09/03)
むっ久々に一句できた
15 春の海 北の海 舞の海 おやじの海16 ナタデココ 買いに来たら ナカッタデココニ
政「さすが組長 みんな拍手」
組員「さすが組長 するどい!」
【初出】 「週刊少年ジャンプ」(集英社)1994・12号。
【初刊】 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』88巻(集英社ジャンプコミックス、1994)「24時間消えられますか!?の巻」。
【評釈】
15は、様々な位相の「海」が、畳み込むように次々と列挙されているところ、印象的。一つの実景「春の海」だけではなく、そこから全く別々の世界観が蔓をたぐり寄せるようにこちらへ引き込まれていく。そこにこそ、<ことば>の力が見出せるはずだろう。
また、俳句でありながら、名詞を単純に連ねる奇抜さは、すでに氏が何度か引用してきたところの「目に青葉 山ほととぎす 初がつを」の句にその先蹤を見ることができる。なお「技のデパート」こと「舞の海」の一語が時代を感じさせていい。
16は単なるシャレであるが、「ナタデココ」とはこれも時代を感じさせてよい。06「気をつけろ極道小町ドスッ」は山下久美子を引くわけだが、そこからすると隔世の感を覚えよう。いつの時代においても、その流行の先端をきちんと見据えて句にしていく。氏は常に時代への挑戦者なのである。
【参考】
○「春の海 終日ひねもすのたり のたりかな」 (須磨の海にて・蕪村)
○「北の湖」 「舞の海」 (関取)
○「おやじの海」 (演歌。村木賢吉)
○「ナタデココ」 (デザート)
政「どうやっておとし前をつける気だ」
組員「すみません(汗)」
組長「その辺にしておけ!
17 夏草や夏のくさやはいとくさし!
今回は大目に見てやろう」
組員「申し訳ありません!」
【初出】 「週刊少年ジャンプ」(集英社)1994・40号。
【初刊】 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』91巻(集英社ジャンプコミックス、1995)「アニメ現代事情の巻」。
【評釈】
音律を楽しめばいい軽い句である。
【参考】
○「夏草や 兵つわものどもが 夢のあと」 (『おくのほそ道』・芭蕉)
○「くさや」 (ひもの)
組長「一句出来た!
18 春の海 潜水艦の大漁かな」
【初出】 「週刊少年ジャンプ」(集英社)1995・3+4号。
【初刊】 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』92巻(集英社ジャンプコミックス、1995)「組長は釣り名人!?の巻」。
【評釈】
さて、ここ数回の<うた>については、いつも私たち読者を愕然とさせてきた、世界に破壊と創造を喚び起こすごとくの暴威に満ちたような、氏の初期の<うた>の数々にひき比べるとき、ややもするとパワーダウンを感じる。私たちはこのことを残念に思わなければならない。このあたりで巻一は閉じられるべきであろう。
贅言ひとつ。コミックス50巻を境に(といっても50巻以降まるまる40巻近く氏の登場が見られないので正確な物言いではないやもしれないが)、氏の位置づけは、「ヘンな俳句を詠むヤクザのおっさん」に変わったように感じられる。そのことはひじょうに残念だ。01~04、06、08などをもう一度読み返してほしい。そこには、ただ読むだけで(それも黙読ではなく──音読してほしい)、私たちの価値観をどうしようもなく揺るがしてしまうような、そんな力がみなぎっている。その力に対しては、「批評」の言葉たちは沈黙し、敗北を認めざるをえないだろう。強いて言うなら、「御所河原感覚」としか言いようがない、そんな<うた>がそこにはかつてあったのだ。
【参考】
○「春の海 終日ひねもすのたり のたりかな」 (須磨の海にて・蕪村)
――続きは、二の巻にあるべし。
《巻一 編者あとがき》
本稿は、管見のかぎりでは日本で初めての、御所河原組組長、御所河原大五郎氏の作品を集成したものである。先行研究のないなか、なかば手探りのなかから出典などを割り出したので、思わぬ誤りなどが見られるかもしれない。その際はお詫び申し上げるとともに、ご一報いただければさいわいである。
本文には、拙宅架蔵の、秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(集英社ジャンプコミックス)を用いた。版は任意である。
さて、御所河原氏の<うた>については、批評するよりなにより、まずコミックスを見ていただき、感じ入ってもらうほかない。多少の考察も施したが、実際の氏の<うた>の前に、見劣りすること甚だしい。もとより編者の意図は、御所河原氏の<うた>の再評価にあるので、コミックスを読み返していただくところにこそ無上の喜びを覚えるのである。
そんなわけで、以下は蛇足である。考察のなかで、50巻を境に、とした箇所があるけれども、そのことはひとつ御所河原氏の<うた>に限らないようだ。「テスタオッサンドナイシテマンネン」に非凡な言語感覚を見出したのは村上龍だったが(100巻解説。はっきりいって当時全100巻に散りばめられた数千数万の言葉のなかから「テスタオッサンドナイシテマンネン」の一語を選び取った村上龍はただ者ではない)、おそらくは『ジャンプ』誌上で、どマイナー極まりない内容を果敢にぶつけていた50巻ぐらいまでの『こち亀』に見られた、ヒリヒリするような言語感覚を、私は愛惜する。
どマイナーとあえていってみたわけたが、どマイナーであるだけでは特に取り上げることもない。強調しておきたいのは、長期化しはじめることで『ジャンプ』の看板として扱われる(いうまでもなくそれは、望むと望まぬとに関わらず、メジャー化してしまうということである)ことと、本来のどマイナー指向とが、ギリギリのところでせめぎ合うような、20~40巻台のコミックスで楽しめる、その奇妙な平衡感覚である。
別にここ十年ぐらいの『こち亀』をしたり顔で批判するつもりもない。むしろ100巻をこえて同じテイストなど望まない。最近のものは最近のもので、楽しみ方はあるのである。ただ、いろんな面から「わかりやすく」なったことを、私の立場からは惜しむだけなのである。
部長「道路交通法第三条を言ってみろ!」
両さん「えっ!!
三条ですね えーと確か……
『自転車の4人乗りは危ないのでやめよう』…だったかな?」(汗)
ごまかす両さん、というのが非常にわかりやすい(92巻「人生をやり直せ!の巻」、1995)。だが、同じような内容・状況ではあっても、下の19巻(「両津大明神!?の巻」、1981)あたりに見られるような、言葉の異常なほどの過剰さと、92巻のそれとは、あまりに隔たっている。それだけだ。
部長「通行中の車を止める警察官の行為にはどういう法的根拠がある? しってるだけいってみろ!」
両津「そ…それは…警職法道交法などの法律で警察官の気分で車を止める場合につき規定されています つまり憲法でいう国民の文化的生活が守られるようまた刑法の犯罪予防という…」
部長「職務質問の法的根拠を200字以内でのべよ! さあいってみろ」
両津「そ…それは昭和31年改正法つまり…その司法職員の職務質問に関する法律により職質の3原則が定められていて…気に入らないやつ素直でないやつ…」
○
本稿がなるにあたっては、いろいろな方々にお世話になった。紙面の都合上、逐一ご紹介できないのはまことに残念であるが、御所河原組長ご本人、及び、氏の片腕として大きなはたらきをなさっている政氏(本名不明)に対して、私の感謝の念はなみなみならざること、特に記しておかなければなるまい。
追記:なお、本稿の出版発行の際には中川財閥に出版助成金をお願いしたい。(2000/09/23。2018/06/25再録)