(以下、同作のネタバレが大いに含まれます。同作の通読後に御覧ください)
2.女神編、恋の感情を操って現実世界を救うことの悲壮について
6人めの女神捜しの展開は本当におもしろい。女神捜しが話題になった初めの段階ですでに歩美とちひろが並べられ、「どちらとも」または「どちらか」という可能性が提示される。二人(とエルシィ、結)が文化祭でのバンド演奏に出ることが女神捜しの進展と同時進行に語られていく(文化祭が話の筋に絡むというまんがやアニメ、ゲームの王道!)。
もともと、ちひろのバンドへの興味は、桂馬の攻略(攻略の記憶はないが)のなかで「真剣になれ!!」(04-086-3)と言われたことが大きく影響している。
(04-086-3、04-087-2、04-108-1)
これが反転して、桂馬ははからずもそのちひろに真剣になることをつきつけられる(「ならあんたも、もっと真剣にやれば?」19-167-4。<他に投げかけた言葉がめぐりめぐって自分に返ってくる>という話型*1)。
だが、「真剣」になってしまうこととは、女神を出現させられなくなることと同義であり、そうすると、世界は救えない。それゆえに、感情を偽らざるをえない。そのことをちひろは知り得ない。あるいは途中でいくらかは知りうるものの全ては理解しきれずに、感情を翻弄されたうえで失恋としてそれをかみしめることになる。桂馬は、ちひろの(また同時に歩美の)感情を翻弄したことを知りつつも黙するほかなく、女神編はせつなさを抱えながら終幕する。
この展開について、改めて表現に着目しながら細かく追ってみよう。
09巻-73ページ-1コマめ
「駆け魂を出した後も/あなたの記憶が残っています」
女神持ちのヒロインは攻略の記憶が残っているという、女神編の重要なポイントが提示される。このあと、かのんが刺されて重篤になり、桂馬はそれを自分のせいだとして「ボクはもう…二度と失敗はしない!!」(13-022-3)、「ボクは…ゲーム世界の…鬼になる」(13-094-1)と述べて物語のトーンが重くなる。
かのんの命がかかっていること、また、女神を出さないと世界が滅びるというリミットが決められたなかでの攻防をしなければいけないことだけが重さの原因ではないことに読者は徐々に気づく。それまでの攻略では、攻略の後はその対象から攻略のことを忘れられるということが救いだったはずが、記憶が消えていないのであれば、桂馬は、生身(「現実」)の人間を相手に、騙して感情を左右する(操縦する)ことを、それも複数を相手に、齟齬無く継続させなければならないという事態に直面していることになるのである。どう決着するにせよ、他者を傷つけずに終わることはないことになる。このことはこのあとの展開をきわめて重く、苦しいものとしていく。
09-055-3
「……/頭で考えた通りにはいかないな」
七香回だが、桂馬が頭で考えた展開を、それぞれの人の情動が上回るということが示される。それが一番はっきりと示される人物はもちろんちひろであるが、それぞれのヒロインの物語でも、この要素はそれなりに示されている。
12-026-4
「……攻略は攻略!! 今は攻略じゃない!!」
桂馬のちひろへの思いは、物語においては最終二話以前まで一貫して「(…)」という形で読者に知り得ないよう表現され、そのときそのときで読者にそれを読み取ることを要求する(前述)。ここは、ちひろに関わっては攻略というカテゴリーではできるかぎり接したくない桂馬、と読める。
13-076-2
「忘れてていいんだよ……/女神なんていない方が…巻き込まれずにすむ…」
(13-076-2)
桂馬の表情に見て取れるように、女神編の悲壮はすでに始まっている。
桂馬の行動を、恋愛感情込みで通俗的に理解していたハクアが、桂馬の置かれている状況と心境を次第に理解していく。ここでのハクアは読者の認識の足場となる役割を果たしてもいよう。
14-017
「ギター始めて半年だし…」/「半年か。」/「半年。」
攻略を覚えているようにも、覚えていないようにも受け止められるセリフ。ちひろ・歩美のどちらかが女神という状況において、読者にミスリードを誘う。
14-021-1
「まぁまぁ、いい感じの曲だったな。」
歌詞でなく曲に対して良さを感じている点は注意される。後述16-159-6につながる。攻略として計算された感想ではなく、素の感想。
14-125-2
「あ、いーかげん没収したPFP返せ!! 忘れていないぞ!!」
最終話の伏線でもあるのはいうまでもない。二階堂からゲームを取り上げられていることは寓意的でもある(二階堂がPFPを返す場面については後述)。
14-159-1,2
「もっと痛めつけといた方がいいぞ…/お前の言う通りだ…… ボクは月夜を傷つけた…」
次ページに「どんな罰を受けてもいい…/あと少しの間だけ… ボクを好きでいてくれ……!!」と続く。半ば贖罪的な意識があることを見て取ることができる。
そのあと、月夜が「私は桂馬を…信じていいの……?」という問いに、「ボクは死んだって…… 月夜を守るよ…!!」と述べる。「信じていい」とは言わない。月夜のセリフに正面から答えることはできない。世界を救うためには月夜を騙しつづけなければならないからである。
14-184-1
「と言う訳で、 これがここまでのあらすじだ。」
(14-184-1)
センサーが光ってウルカヌスが現れたことがわかる演出。この前のページの書き文字とセリフが「どさ」「ん?」のみで、人形の倒れた音だけが示され逆に静寂が強調される構成からのこのページ。読者に音を聞かせていく聴覚表現的演出はたいへんに巧み。そして次ページ、「女神ヲ拘束!?」「身の程ヲ知レ…!!」と人形と漢字カナ混じり表記によってその不穏さはさらに増していく。この3ページ(だけではないが)、まんが表現として最高である。*2
15-015
「翼だが……? それがどうした?」「い、いえ…なんでもありません……」ゴゴゴゴゴ
天道あかね感。いちいち示さないが随所で高橋留美子調のコマがあって楽しい。
15-054-1
「天理はあなたのことを10年前から慕ってるのですよ!! 愛では誰にも負けません!!
力が戻らない原因は… きっと私自身のせいです…」[…略…]「天理の愛を打ち消しているのかも…」
翼が戻らない理由を推測するディアナ。この時点でのこの解釈は、12項下で改まる。
16-119
「確認しておくが家に来ても誰もいない。/バーカ。」
桂馬は「エルシィはいない。だから来ても意味がない。」という意味で言っているのに対して、ちひろにとってはそれが行く理由になる。ちひろが桂馬を心配するようなことを、桂馬は想像だにしていないのである。桂馬の計算が狂っていく(対ちひろだけではないが)のがおもしろい。
16-159-6
「でも、この曲は……/好きだな……」
先の14-021-1から形をなしてきたこの曲を、桂馬は「好き」だという。ちひろが作曲して詞をあてつつあるこの歌を「好き」ということは、桂馬のちひろへの感情をどこか表してもいる(ちなみに曲が気に入るという展開はかのん攻略話ですでにあるが、自作である点はちひろの方が圧倒的に強い)。「歌は人なり」の話型。
ここでの「好き」という言葉が、ちひろのドア越しの告白である「あんたのこと、好きなんだ。」(16-166-1)につながり、さらに文化祭での「好き」をめぐる問答に、そしてそこで答えられなかった答えを言う最終二話につながっていく。(後述)
16-168
「ゴメン。/何か?/言った?」
ここでまさかの鈍感主人公。聞き逃す、あるいは、聞こえないフリは、まんが・アニメ・ゲームの王道的定型。このような修羅場でまさかの強引な展開はさすがである。
16-169-5
「(……/……/……)」
攻略を進めなければならないことと、告白されたこととの間でせめぎあう桂馬。
17-015-1
「ま…/しゃーない しゃーない!!!」
(17-015-1)
どちらかに女神がいることを示しつつ、それがどちらなのかをサスペンドする1ページ。なお、船(あかね丸)は4巻でのちひろ攻略の舞台でもあり、その船を欄干の手前から見上げるちひろは、記憶を持っているのか持っていないのか読者に疑わせる。この欄干は最終2話でも重要な象徴になると私は考えている。
17-128-1
「ボクに人の気持ちなんて…わからない/だから、ゲームのやり方しかないんだ。」
後に、天理とのやりとりで反復されるセリフ(反復と差異)。ここでは桂馬は、歩美の攻略を、徹底的に自分のやり方で解決しようとする。それはゲーマーの矜持だと語られるが、自分の計算通りにはいかないし、ちひろや歩美の行動・発言によって乱されていく。そしてそれらの解決にも、実はちひろの助言が一役買っている。一人で何事かをなす気でいて実はそれができていない女神編の桂馬は、他に頼らなければ解決できないことを認め変容がもたらされる過去編のフリになっている。
17-157
「な、なんか変なんだよな…/ちひろがいつもと違うからさ…」/「どう違うのよ――」「なんか調子くるうんだよっ!」
次のコマを見ても、これが攻略のための演技ではない。
17-170-1
…あれ?/このセリフ…あってるのか?
選択肢と計算されたセリフとで事態を打開してきた桂馬が揺るがされる。
17-178
「好きになるのに…理由なんてないよ!!」
人知を駆使して因果を読み解き、理詰めで行動してきた桂馬に対するアンチテーゼ。ゆえに桂馬は混乱する。因果によって関係が構築されるギャルゲー的世界観を駆使する桂馬にとっては、全く想定外の発想。
17-182-2
「好きなわけないだろ」「現実女をだましてやったんだよ。/バーカ!!」のあと、満開の花火と音が描かれる。まんがやゲームの王道の場面に、自分の思いと攻略とでせめぎあう桂馬をもってくる状況設定よ。
17-184-2
「…/いつもボクのことバカにしてるから…思い知らせてやったんだよ!!」
2コマめの(…)の内話と、コマを分けて3コマ目での発話。本心と、それを抑えて攻略に向かわなければならないこととの桂馬の内心のせめぎあいを、コマを分けることで示す。これを引き受けて188ページ3コマめの桂馬は、
(17-188-3)
と、ちひろが去って行ったあとを見ながら「(……/……)」と表される。こうせざるをえなかったことと、こうしてよかったのかという思いとの交錯。
17-200
「……許されないことです。天理のフィアンセを好きになるなんて…/私の翼が出ないのは……/私の罪悪感が天理の愛の力を奪っているからです…!!」
ディアナに翼が出ない理由へのディアナの解釈が改まる。だが、これも実は誤認。8項下参照。
18-021-3
「…あの、/無理に笑わないでいいよ…」/「そうだな…それでも、/前に行かなきゃ終わらない。」
(18-021-3)
作り笑いをする桂馬と、それを見抜く天理。桂馬の「笑い」の問題が明確に対象化されて物語の俎上に載る。また、「前に行く」ことを自らに課す桂馬が改めて示される。
18-064
「にーさま……」「止まるな――!! 全速力で離れろ!!」
18-065
「何か変なもん付いてないか? 発信器とか…」
18-066
「ま…/何かつけられてないか、後で確認しておこう」
このへんがこの物語なりのリアリティのつけかた。桂馬は超人的な力を持つ悪魔に対しているが、悪魔も絶対的な力を持つわけではない。そういう世界観のなかで、超人的な味方が力を貸し(二階堂たち)、かつ本人は判断が速く気が回る、という造型が丁寧に仕込まれて、出し抜く物語のリアリティが保証される。
18-163
「そうね、あの人たちは…/世界征服を企む、 連中ってところかな…」
ハクアの機転。こういう掛けた台詞はかっこいい。「どうしてそうまんが的表現に律儀なんです?」(『じゃじゃ馬グルーミンUP!!』) こういう、別の二者を掛けるような表現は、表すところは全然違うが、月夜と桂馬/フィオとハクアたちの場面の掛け方(ベンチの落下と椅子の落下)などにも指摘できる。
18-195-4
「戦争、じゃない……/戦争になったら、もう誰にも止められない」[…略…]「だから、戦いを始めちゃいけない!!」
こういうところは正しく「少年まんが」だと思う。少年誌的啓蒙。むろん少年まんが=戦争まんがであるといってもいいぐらいのまんが史があるが、一方で、啓蒙的な側面を少年まんがは担ってきた。この物語は、戦争をさせないための物語なのである。
19-023
「(川にはまる等のオプション行動も取れる絶好の場だ。/歩美…来てくれよ。パンツを取り返すと言う大義名分も用意したぞ!!)」
(19-024-1)
このセリフがシリアスに言われるというのが、女神編のおもしろさの真髄。最初は呆れる側だったハクアが、道行きをともにすることで桂馬の苦しさを理解していき、ここでは桂馬側に立って発言するようになっている。だがそのやってることの客観的な滑稽さを事情を理解できていないちひろは客観的に見る。シリアスとギャグ(コメディ)の間を綱渡りしつつ進んできたなかでの最高の1ページ。
19-124-1
歩美、桂馬、ちひろの三者三様を表す1ページ。手を繋ぐ桂馬とちひろ。
19-147-3
あかね丸船上の歩美・桂馬と、欄干を挟んで地上のちひろ。攻略にも女神にも関わらないちひろは、欄干の手前にいる。ちひろは地上の人物である。であれば、桂馬とちひろの物語の最後の場面は、船上では無く、欄干の手前でなければならない。(後述)
19-153-3
「て、天理……!! どうしてもっと早く言わないのです!!」
このあとディアナに翼が生えるので、先の2コマからの連続から推測すると、天理の10年かけた桂馬への愛の強さに圧倒されてーつまり、ディアナ自身の桂馬への恋愛感情という阻害要因がなくなってー翼が戻った、と解釈できようか。(別の解釈もありうるか)
19-163-7
「ボクは一番良いセリフ使ってるのに!!」
歩美と桂馬とのやりとりから疎外されるちひろが、その背景を含めてさびしく描かれる。同時に、ちひろはセリフを「使う」ものとしている桂馬を見ている。こうしたことを経ているから、ちひろは最終話でいったんドアを閉めて時間を必要とするのであるし、「どーなるかわからん」という言葉によってようやく受け容れることができるようになるのである。
19-168,169
「自分で、自分で決めて…/桂木が、好きなんだ!!」/「(そうだよ、/私も… 自分で決めたんだ…!!)」
(19-168,169(部分))
見開きの右・左で、歩美とちひろがそれぞれに「自分で決めた」ことを述べて照応関係であることが示される。受動的であったり操られていたりしているのではない形での恋心を表明する。これに対して、桂馬はゲームのやり方を通さなければならない。なぜならば、そうしないと世界が救えないからである。
19-180-3
「私、ライブに行かなきゃ…」
ちひろは、空も飛べないし、爆発も見えない。船には上り、歩美の背中を押したが、それ以上には自分のすべきことはもう終わり、船の手すりの手前で、地上の自分の物語を選ぶ。というよりも、地上の自分の物語しか選べない。
描けるはずの女神と悪魔たちの大攻防を、必要最小限にしか描かない。野球の試合を描かないあだち充とつながる少年サンデーの系譜。
19-190-1
「いや、ちひろは…関係ない。」
ちひろがどううけとるか、とともに、桂馬がどういう思いでこの言葉を述べたか、も読み取らせる一コマ。
19-191-4
「今日のバンド…聴くよ、必ず。」/「あ、あーいいよ!! すごい音聴かせてやるから。」
ちひろが一瞬ひるむのは、桂馬への思いがモチーフになっている曲と詞を、意味を持ったものとしていま聞かれたくないからであろう。だから、「音」の方を話題にして回避する。
19-220-2,3
桂馬が唯一涙する場面。この落とした涙は、見開き左ページp221ののちひろの涙と呼応する。こぼれたのが涙かどうか疑わせる演出は、その前のp217-4の歌うちひろのコマとも呼応する。
(19-217-2)
そして、二者の涙の意味は、つながりつつも異なる。
本当はちひろが好きで、かつちひろからも告白されたのに、それを表明もできず受け入れることもできず、世界を救うために、好きではない歩美に(しかも歩美が真剣に生きている人であることを知りながら)告白しなければならないという皮肉を抱え込まなければならない桂馬。人の感情を左右して世界を救うという所業が、桂馬自身が引き受けたことだとはいえ、それが、よりによって自分が好きな相手が、自分のことを好きだと言ってくれたことも攻略の中に組み込まざるをえなくなってしまった。好きな相手が自分のことを好きだと言ってくれた気持を、最悪の形で傷つけてしまったことを悔やむ。自分の気持ちを押し殺さなければならないつらさと、好きな相手の感情を左右して傷つけてしまったつらさとが相俟っている。
そして、ちひろは、事態を知る者にはなるが女神の翼を見ることはできず(特殊ではない自分の再認)、桂馬の本心を知り得ず、そして真剣になってもうまくいかないことを知りながら歌わなければならない。初恋が破れただけでなく、自分が凡庸であることを、他の3人に翼を幻視してしまうことで(p214〜215。この見開きは、残酷で、かつ輝いている)痛切につきつけられる。そうした、つながりつつも異なる二人の涙で、女神編は苦く終了する。
(続く)
(2021/01/03。本テキストは研究です(営利目的でない)。引用は若木民喜『神のみぞ知るセカイ』(小学館<少年サンデーコミックス>、2008-14)、文中で必要上同作の画像の一部引用をする場合はkindle版による)。ここでの画像の他媒体への転載を禁じます))
参考:
『神のみぞ知るセカイ』私注1: 誰エンドになる物語か―ヒロインについて