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『GS美神私注』「甘い生活!!」編(32巻、33巻)【再録】

あるいは、横島ルシオラ恋愛編。パピリオが丸め込まれる一編である。

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「じゃ、なんで──」
 夕焼けを見る二人。
 かつてヨコシマがルシオラに投げかけた、「夕焼けなんか、百回でも二百回でも一緒に──!!」(「ワン・フロム・ハート!![その1]」30巻p190-4)というセリフどおりの時をいま過ごすことができている。

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「でも、もし私がその気になったら──人間の何百人くらい、すぐに殺せるのよ? 怖くない?」「怖いけど、/美神さんもそうだし!」
 女の子と向き合っているとき、ほかの女性を基準に話をしてはいけません。ましてそれを口に出すなどなおさら。

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「いやなわけないでしょ、/ぜんぜんv」
 のちに大きな意味を持っていくことになる、東京タワーと夕陽の組み合わせは、ここが初出である(ただし、22巻を参照のこと)。
 横島が「「ぐわー」とか迫って「いやー」とか言われ」ず、こともあろうにキスまでされてしまう、という、明らかにこれまでと異なる展開。

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「私、まだ子供なのかも……/…美神さんは?」
 おキヌ子供問題については、29巻p89-1も参照されたし。

 それまで「幽霊」だったことで横島と非対称な関係だったおキヌは、「再生」し、対称的な関係(恋愛可能な関係)になったと思われたが(「サバイバルの館!!」編にはそれが顕著)、物語は、「グレートマザー襲来!!」編前後から、「おキヌ=子供」という公式を接ぎ木することで、結局、非対称な関係が継続されている、ということができる。

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「あのコたちのことはなりゆきにまかせるしかないじゃん!」
 美神がこういう態度をとるのは彼女の立場からいってもっともで、じっさい、なりゆきにまかせる、ということは恋においては往々にしてありうることだ。
 ただ、この態度をこののち四巻分、ついに改めることなく、積極的な行動を行わなかった(行えなかった)一点において、アシュ編末の美神の言葉は空疎に響く。

 これに対してこの物語の因果律は、アシュ編後の美神に恋を許さない。

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「大丈夫よ、ヨコシマ。/もしもの時は私がパピリオを始末して…自分のことは自分で──」
「バ…バカなこと言うなッ!!」
 ルシオラ/おキヌのパラレルな関係は何度か指摘してきているが、ここにもそれが確認できる。
  「守ってくれて嬉しかった…! でも…この霊たちの辛さがわかるから──/もう…」
  「バ…バカなこと言うな!!」(「スタンド・バイ・ミー!!」23巻p87-4)
 この横島の真剣さについては、おキヌを自己犠牲に至らしめてしまったという過去(「スリーピング・ビューティー!!」編)を再び繰り返してしまいそうな予感を、横島なりに覚えるから、と解釈できた。
 そしてここも、──ルシオラに対して投げかける「バ…バカなこと言うなッ!!」という言葉もまた、かつて自分のために命をかけようとした過去をその背後に抱えるからこその真剣さであると見ることができよう。

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「………/ま、もーちょい様子をみましょう。」
 「………」のタメに注意。

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「チョウの弱いものって何かしら!?」「カ…カマキリ──とか、クモ…とか?」
「「カマキリ」って漢字でどー書く!? ひと文字!?」「えーとえーと。」
「「クモ」ってどーだっけ!?」「えーとえーと。」
「くっそー!! 空の「雲」ならひと文字なのに…!!/──」
ぴん 「!!」
「雨!!」
 こういうところが文珠の醍醐味。22巻p13-5参照。

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「な…なんでよっ!?/なんでそんな夢見てるのよっ!?」
 ルシオラの震えを、刮目して見よ。

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「どうして私が美神さんに入れ替わってるの!?/それは私たちの思い出じゃない!!」
「ル…/ルシ…オラ?」
「女のコなら誰でもよくて──/たまたま美神さんに入れ替えてみただけ? それとも──」
 単に人が入れ替わっているだけではなく、夕焼けの東京タワーであることは、かぎりなく重い。
 夕焼けには、今のルシオラにとって、かつて「ちょっといいながめでしょ?」(30巻p88-2)といっていたとき以上の意味がある。つまり、今のルシオラが見る夕焼けは、横島によって与えられた夕焼けであり、「夕焼け」と「ヨコシマ」とは切り離されて存在しない。その横島が、夕焼けの光景を深層心理では美神と過ごしていることに対し、ルシオラの愕然はいかほどのものだろうか。
 美神のルシオラを慮っていう、「よかったわね、ルシオラ!/………?」(p58-2)という言葉は、かえって残酷でさえある。

 ならばこの、「横島の深層心理でルシオラと美神とが入れ替わっている事件」は、横島を(さらに作者を)非難すべきこととしてわたくしたちに記憶されるべきでしょうか。
 たしかに「ルシオラとつきあっている」ことになってるのだから、横島が非難されることではある。だけれども、ルシオラの見た深層心理は、当の本人の横島さえ意識・自覚していないものです(だからこそ「深層心理」なんだけど)。横島自身はルシオラと<恋>をしていると思っている。ところが深層においては実は美神と交換されている。あまりにも残酷だけれども、ですがそういうことは人の心においてありえる事象にちがいないのである。
 実際、横島のルシオラへの想いは、いざ問うてみるとほんとうに<恋>なのかどうか、わからない。そして青春の<恋>には、およそそういうことだってあたりまえのようにありうることなのではなかろうか。

 ただ、この「深層心理」を、イコール永続不変の「真実」と決めつけてしまうのも早計だ。なにしろルシオラと横島の関係はまだ始まったばかりで、発展途上の青春の<恋>であり、また横島にとってはある面では受け身の<恋>であることも考えあわせるべきでしょう。目先をかえて次のコマに着目してみたい。
「ル…シ……?」 (33巻p75)
 このセリフで、美神ではなく、ルシオラを呼びかけようとしている点も考えあわせなければ片手落ちです。
 いや、次のページで突如キスを迫るヨコシマが描かれるので、ルシオラとわかった途端迫るなんてやっぱり不実だ、と読むのも穏当な読みなのですが、他方、眼が「+」になっていることに注目してみたい。

f:id:rinraku:20201129085800j:plainこれは無意識状態を示しているとも解釈できる。無意識状態にあって、「ルシ」オラを呼ぶ横島。とすると、時間をかければきっといちばん奥深いところでもルシオラを思うようになっていくにちがいない、と読者に期待させるコマではありますまいか。

 「深層心理」が自覚する「意識」と食い違っている。しかし、それが必ずしも永続不変のものではない可能性も「ル…シ……?」の発言に望むことができる。あえてうねった形で示されるこの<恋愛>観はなかなかにリアルなのではないか、と思わされるのです。

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「ヨコシマや西条さんが助かったのはあのコが手加減したからじゃないのよ!!/私は──
許さないッ!!」
 パピリオの事件が引き金になって、見なくてもいいものまで見てしまうことになってしまったことへの行き場のない思いがこの「許さないッ」には込められている、と読めないか。根拠があるわけではないが、「私は──/許さない」の間にコマを変えたタメに、そういうルシオラの心境を読みたい。

05 73 2
「(そうだったのか──!? / いや、それだ!! 俺もそれが言いたかった……!! よーな気がするっ!!)」
 椎名まんがにはコピーが多用されていて、たいがいの場合げんなりするのだけれど、ここの横島の3連続のコピー使い回しは、たいへんに笑える。

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(でも、考えてみたら、今回はともかく──
まるっきりウソってわけでもないよ。私のときは身をていして守ってくれたもの。)
f:id:rinraku:20201129085753j:plain

 かわいさ・幼さ・照れを主に表す【ほお斜線】がルシオラに与えられている。のですが、これがp10-4、p11-2以来、約60ページぶりである点は着目されるべきではないか。

f:id:rinraku:20201129085750j:plain(p11-2)

 60ページの【ほお斜線】空白期において、ルシオラが【照れ】ていると考えられるシチュエーションでは【鼻の上斜線】が用いられている。じゃあ別に取り立てていうほどのことでもないのでは、と言いたいところだけども、同じ【照れ】を表すまんが記号でも、【ほお斜線】と【鼻の上斜線】とのあいだには位相差を指摘できるはずなのだ。

 【鼻の上斜線】は、照れだけではなく、気持ちの余裕のなさ・緊張・焦り・思いこみというような、マイナスの感情を読者に示す役割も持っていると定義づけられると思われる。 そしてこの60ページ分のルシオラには【鼻の上斜線】がきわめて多用されているように思う。

f:id:rinraku:20201129085756j:plain(p57-3)

f:id:rinraku:20201129085803j:plain(p69-4)

これが全て【照れ】ばかりか。【鼻の上斜線】が付されていても、本当にルシオラが無邪気に【照れ】ているのかどうかあえて読みとらせないコマさえあるように思われるのである。そこには、あえて読みとらせないという記号上の戦略を考えておくべきではないか。はっきりと【照れ】を表す記号である【ほお斜線】は、事件が終息し、ルシオラ自身が横島との関係に前向きの納得をするこのp113-1まで、用いられない。
 このことはウラを返せば、パピリオ事件の展開のなかで、人間社会のなかにまだなじめない不安定さ、そしてさらに、横島の深層心理を知ったことでかかえてしまった疑念をめぐって、ルシオラがいかに不安定な状態・心情にいつづけていたかを如実に表すのではないか。

05 75 2
「バカでやさしくて──スケベの一念でアシュ様だってやっつけちゃって…好きよ、横島。」
 26巻p19-4参照。

05 75 4
(だから今は、/心の中が私ひとりでなくても……ま、いーか。/ヨコシマのスケベ心が美神さんにひかれるのは当然だもんね。)
 なんて寛容な。
 ただ、この「だから今は」という限定のもとでのルシオラの留保が、「急がなくても──今の私たち、時間はちゃんとあるんですもの。」(p11-2)という認識に裏づけられていることがわかると、二度め以降の読みにおいてはなかなか悲しいものがある。「甘い生活!!」編がいかにつかの間の平和だったか、偲んで余りありましょう。

 なお「ま、いーか。」と言ってしまってのっぴきならなくなるのはむしろ次の編の美神だったりする。

05 76 3
「ひゃんほひほほほはっへはらひはひゃんはほっ……!?」「当分の間全面禁止にしますっ!!」
 「ちゃんとしごとおわってからしたじゃんかよっ……!?」か。

 (2001/02/04。02/05改訂。03/08/17新訂。20/11/29再録、語句、誤記修正。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による