Logue Nation

”ローグ”ネーション、またはまんが読み22時。まんがを「私」が「読む」、研究サイト(営利目的でない)。文中で必要上引用した画像等の他媒体への転載を禁じます。

『GS美神』私注:「今、そこにある危機」編(21巻、22巻)【再録】

椎名高志『GS(ゴーストスイーパー)美神 極楽大作戦!!』に注釈を付し、わたくしの読みを提示する試み。そこにいるあなたの<読み>とぶつかって、何かが生まれますように。

話-P-齣
01-09-4
「おケガはありませんか!?」
 わざと事故を起こして、美神たちと接触をはかるワルキューレ。 ワルキューレに付されている【鼻の上の斜線】と【汗】とは、この場合「焦り」を示す。どちらも「本人が意識して出すものではない(むしろ本人の意識としては出したくないもの)」という前提がある記号である、といえる。ここでのワルキューレはそこまで完全に「春桐」を演じていることになりましょう(美神と横島の視線のないところでも気を抜いていない→p12-3)。
 p13-3なども同様。こちらの【鼻の上の斜線】と【汗】とは「照れ」であるけれども。
 とはいえ、彼女が何かしらの意図があって近づいたことは、p8-2(片目隠し+陰+斜め構図)やp16-1(片目隠し+陰)で読者に示されている。


01-10-4
「春桐」
 「バルキリー」。Valkyrie。つまりは「ワルキューレ」。英語でのポールはフランス語ではピエール、という類。


01-16-4
「やがて燃えあがるオフィスラブ!!」
 オフィスラブといえば書類をバサバサ。というのが、なんか定番のイメージとしてあるらしい。参照、「父帰る!!」6巻p74。


01-18-2
「通信鬼!!」
 のち「続・仁義なき戦い!!」編でも登場。
 「冥界とのチャンネル」というが、『極楽』全編を通して、異界との「チャンネル」のルールはいまひとつ明らかではなかったりもする。


01-18-3
チェックメイトキング2、こちらホワイトロック」

 TVシリーズ『コンバット』。
 『こち亀』などにもこのフレーズは手を変え品を変え散見される。


02-29-5
「この場にいていいのは戦士のみ 失せろ民間人!」
 「今、そこにある危機!!」編のキーワード。横島成長譚、あるいは『極楽』のなかでも、一つのターニングポイントとなる言葉でありましょう。


02-30-1
「しかし…俺だって美神さんの──!!」
 横島の力は、美神と横島のこれまでの「歴史」において、きわめて微妙なかたちをとりながら発現してきた。結果的には美神が事件を解決しているので、いっけん横島が役に立っていないように見えるが、実は横島なしには解決しなかったというほどのはたらきを、何度も、意外にも(と横島自身思っているだろう)果たしてきている。そして、この「歴史」をいちばん見てきたのは誰かといえば、それはおキヌ以外にありえない。おキヌは、情けない・使えない横島像と、けれども危機において美神を支えてきた横島像の両面に対してのよき理解者として在ったのである。 だが、おキヌの退場のあと、入れ替わるように登場したワルキューレは、前者の横島像しか見ないのであって、横島は「問題外の実力」(p22-3)と一面的に裁断されてしまう。
 横島自身は「何の能もない助手+ギャグキャラ」という自己イメージを持ち、またそれを疑うこともほとんどないし、そのイメージを<他人>から与えられることに対しても、そのこと自体には反発したりしないだろう。けれども、美神との関わりが捨象されてしまうことに対してはどうか。何も知らない<他人>の一面的な視線によって、二人のこれまでの「歴史」の微妙な綾が捨て去られてしまうこと。このコマのセリフは、実力を過小評価されたことへの無意識のうちの反発とともに、これまでの美神との「歴史」が捨て去られてしまっていることへの反発もあるにちがいないのだ。

 かようにワルキューレ無理解過小評価を受けた横島に、物語はそれを乗り越える足がかりとして、直後に二つの補完材料を与える。一つは、横島を過大評価(じっさいは適正評価)していた存在・雪之丞の登場。そしてもう一つは、横島を理解する存在・おキヌが夢に現れること。

 図式的に捉えるならば、雪之丞は横島の実力(フィジカルな面)を補完し、おキヌは横島と美神とのつながり(メンタルな面)を補完する。これらに支えられながら、ワルキューレによって欠損された自己を回復するのが、この編全体の<構造>であろう。


02-30-2
「ぐ…ぐが…」

 「高いところから落ちると死ぬ」というリアリティは、この作品ではそれほどない。
 ギャグ/シリアス往還系(いま名づけた)のまんがでは、生き死に(例えば高いところから落ちるなど)をめぐるリアリティの問題を、ギャグ/シリアスの両極間のどこで線引きして置くかがけっこう重要であろう(これを“スペランカー的問題”と呼称したい)。
 『極楽』の場合は「このまんがで誰が死ぬんだ!?」(13巻p167-5)というセリフからもわかるように、よほどシリアスが極まらないかぎりは死なない。それはそれでいい。問題は、線引きがあいまいだと、ギャグ/シリアスの往還という形をとるおもしろさを、いたづらに壊してしまいかねない、というところにあるのである。区切りがあいまいだと、シリアス、ギャグ、どちらの魅力も半減させてしまう。
 『極楽』における、生き死に、リアリティ、ギャグ/シリアス、をめぐる問題は、いうまでもなくこの後のアシュタロス編に集中しますが、今は措く。でも先取りして少し言ってしまえば、アシュ編は、
1、ルシオラだけが死ななければならない理由が、希薄、恣意的。
2、ルシオラの死をギャグにできないことと物語がギャグを目指すこととの決定的齟齬。
という二点を指摘することができる。後述を参照されたい。


02-33-5
「雪之丞!?」
 たぶん雪之丞の眼は初登場時は鳥山明のパロディ。なお、かわいさ・幼さを主に示す【頬の下の斜線】が雪之丞に付けられてキャラとしての性格づけがやや変わる。


02-37-2
「生きてるってすばらしいです! どんなことでもきっとできるんですもの!」
 比喩的に言えば「横島を上から見下ろすおキヌちゃん」の最後。ここでの予言?を承ける23巻を待って、そのあとの二人の関係は「見下ろす」ものではなくなる。


02-37-3
「まだ行かないで──」
 これが単に「行かないで」ではなくて、「まだ…」なのは、横島じしんが「三人いっしょで安住」から脱して、自分と向き合って成長しはじめなければならないことを、一面でわかっているから。ループの時間が横島の中でついにリニアに動きだす。自覚的に。


02-38-4
「俺も…/一緒に行く!」
 横島の決意。ただ、「一緒に」というところからわかるように、雪之丞という<同伴者>に導かれるかたちをとっている。<同伴者>なしに、ほんとうに自ら決断しなければならない状況が描かれるのは、もう少し、あとのことである。


03-43-1
「悲惨!!時給255円!?」
 参考、「時給255円!! 横島の給料ははっきりいって労働基準法違反である!!/今の日本にこんな給料で働くバカがいるとは!!」(7巻p26-1。見るたびに無条件に笑える1コマ。)


04-66-5
歓喜
 当時の『少年サンデー』連載陣の文脈だと、『らんま1/2』の登場人物シャンプーの口ぐせ。
 そもそも、額や掛け軸に変な(おかしな)文字を書くことじたいが高橋留美子の発想で、そのあたりまでも射程に入れたパロディと読んでいい。


04-71-1
「そうでなきゃ横島クンまで私からいなくなるなんて──」
 「まで」:当たり前だが、こういうことばの端々にも、「三人で基本形」が当たり前、という意識が根強い。


07-120-4
 「考えてみりゃあの女はてめー独りで…てめー独りのためだけに十分生きてるぞ、おキヌちゃん!!」
 【同伴し語りかける幻】はまんがやアニメが獲得した一つのパターン。
 だいたいにおいてこの【幻】は助言者として機能するのだが、このコマでは【幻】に対してのツッコむ。パターンをしっかりとズラして裏切る、その落差がよろしい。


07-121-1
「絵」という絵本。


07-122-1
 「西条だろーが誰だろーが……!!」
 西条→遅れてきた面堂終太郎。


07-123-2
「大丈夫っスよ!/そんな顔しなくても…/(ちゃんと美神さんのところに──)」
 文珠の獲得。
 けれど、それは横島の成長によるだけでなく、美神をパートナーとして守る、という思いが最終的なきっかけとなっているのが、きっちり描かれていること、注意されよう。
 この点は、身を守る本能とおそらくは不可分に発生した、サイキック・ソーサーや栄光の手とは異なる点である、といえる。
 しかしながらそれを言うならば、横島の最後の飛躍的成長は、美神との関わりによるものではなく、ルシオラとの関わりが決定的要因になって出来した、という点にまで言及しなければならない。


08-145-3
「僕らの一族はキリスト教に駆逐されるまではヨーロッパでは神の地位にいたからね。」
 土俗で信仰されていた神が、ある有力集団に支配されていく過程でその統一勢力の神話では例えば悪魔として扱われていき、支配される根拠となるというような基本構図。日本でもその例は枚挙にいとまなく、例えば「土蜘蛛」など。
 参考、「時間性としてさかのぼっていくと、どっかにほんとうは接目があるはずなんですけど、接目が消されている」。「その収斂の仕方は、本来は天皇制に固有なものではないはずなのですけれども、それを固有なものであるようにしているのは、法国家あるいは法権力としての天皇制国家というものが、法の接目をうまく包括しているというところによるとおもいます。」(「宗教としての天皇制」『語りの海吉本隆明』中公文庫、1995)。つなぎ目をうまく隠蔽して自分たちのルーツの歴史・神話をでっちあげることができた集団だったからこそ、単に戦争に勝つだけではない、確固たる勢力を形作ることができ、今にその命脈を保つことすらできる。キリスト教もまた。


10-170-1
 「霊力を凝縮しキーワードで一定の特性を持たせて解凍する技…!」
 漢字であるから可能であるし、その中国渡来の漢字を、文字がなかった日本語に、「おおこれは便利」と音訓あれこれいじって組み入れちゃったところに生じたズレのおかしさと柔軟性が、この先にも文珠にまつわって用いられる。 もちろんこの手のちょっとした遊びをまんがですぐに楽しみたければ、まずは藤子不二雄を読めばいい。


10-191-3
「そいつは私のパートナーよ!断りもなしに殺させないわ!」
 「パートナー」も少年まんがの王道を行くキーワード。
 ただ、この人の場合、「断りもなしに」の方が問題かもしれません。


11-6-2
「どっちみちこれ以上…/私のことで誰かに何かしてもらうってのは気に入らないのよ!!」
 この人にぴったりのセリフで、こういうセリフがこのキャラクターの魅力ともいえるし、そしてしかしすぐ自ら捉え直すことになる(p10-6→p16-3→p17-1,4)流れのなかにあるわけでもある(「パートナーとしての存在に気づく」という美神側のテーマ)。
 ただし、このセリフが向けられた先は、ここでは横島のことを指すよりワルキューレのことを指す方に比重がかかっていると読むほうがおもしろい。21巻p151-6でも美神は横島よりワルキューレの方を先に想起していた。つまり美神は、横島を、現実的な戦いの参加者としては、頭数のうちに入れていないわけである。この前提があって、しかしその横島の気づかなかった力にこそ実は大きく助けられていく、という段階を踏んでこそ、美神の「横島=パートナー」認識は実感的なものとして立ち現れるはずだ。


11-13-4
 「美神さんを援護するっ!!/美神さんを援護!! たのむッ!!」カッ「フレー!!フレー!! ねーちゃーん!!」「応援じゃねー!! 援護だ!! 援護!!」「ああっせっかく出たのにっ!?」
 もちろん21巻p172で念を込めていない文珠を投げたのが伏線となっている。 また、文珠が「複数使う」ことができるものであることも提示されたことになる。
 「援」の文珠で出てきたシャドウは、過去の、そして今でももちろん消えたわけではない愛すべき横島であり、「護」の文珠は、引き出された潜在能力の喩と言い換えてもいい。情けなさと隠された潜在能力とが同居しているという横島の本質が、この「援護」のエピソードにはからずも表れていることになる。それは上述のように、横島の二つの側面そのものなのである。 それはそれとして、この場面、ギャクもシリアスもその転換もとてもいい(p15とかp17とか)。少年まんがはこうでなければ。


(2000/03/15。03/08/17新訂。2020/1108一部削除して再録。引用は椎名高志『GS美神 極楽大作戦』(小学館<少年サンデーコミックス>、1992-99)、文中で同作の画像の引用をする場合はkindle版による。

付記:22巻p33に「ギャグ/シリアス往還系(いま名づけた)のまんがでは、生き死に(例えば高いところから落ちるなど)をめぐるリアリティの問題を、ギャグ/シリアスの両極間のどこで線引きして置くかがけっこう重要であろう(これを“スペランカー的問題”と呼称したい)。」と注した「スペランカー的問題」だが、このあと、「リアリティライン」という言い方が広まり、定着した(タマフルの映画評で聴いたのが最初だが、それ以前にはこのような言い方はなかったように思う)。