政「安! ドスだっ 指をつめさせる」 安「へい」
下っぱ「ひええっ」
組長「これ 政 よいではないか」
政「しかし組へのしめしが……」
組長「俳句にもこう歌っているだろう
07 冬きたりなば 春トンガラシ
……と」
【初出】 「週刊少年ジャンプ」(集英社)1982・43号。
【初刊】 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』32巻(集英社ジャンプコミックス、1984)「仲良し旅行の巻」。
【評釈】
組長の度量の広さとともに詠まれた、含蓄にあふれた句。
短いだけに、読み手によって解釈に大きく幅が生じる句であり、組長の左腕・政をしてさえ、(さっぱり意味がわからねえ……)と心内つぶやかせるほどの難解句である。
過ごしがたい<死>の季節・冬を迎えても、しばらくすれば喜びに満ちた、<再生>の春はやってくる。それと配合されたトンガラシの激しいイメージ。
なお、トンガラシが春の季語なのかどうかは定かではない。
「組へのしめしがつかない」としていきり立つ政を諫めるため、という文脈を考えるならば、悪いこともあればいいこともある、性急に物事をきめつけてはならない、という箴言めいた句として解するむきも考えられるが、そのような合理的な解釈を拒む力がこの句に秘められていることもまた確かなのである。
【参考】
○「冬来たりなば 春とおからじ」 (シェリー「西風の賦」(Ode to the West Wind))*1
むっ また一句できた
08 たわむれに母におぶさりコブラツイスト
【初出】同上。
【初刊】同上。
【評釈】
母親との仲むつまじいふざけあいが感じとられてほほえましい。
母子の交流も、きれいごとではないのである。
【参考】
○「たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず」 (石川啄木『一握の砂』)
【補注】
背中にはハイジのイレズミ、組長の言葉によれば、ひつじのユキちゃんは最近つけくわえられたものであるという。ただし、組員が指摘するように、26巻にはアラレちゃんが彫ってあったことが確認でき、やや不審。
おなかにはサリーちゃんとよしこちゃん。足の裏にはなつかしのゲゲゲの鬼太郎。
(2000/08/29)
組長 「政 無理いっちゃいけねえぜ
ここはしろうとさんがおおぜいいなさる 騒ぎはおこすな」 政 「しかしここの教習所は生意気で……」
組長 「ことわざにもあるだろう」 政 「は?
郷には入っては郷に従うですか?」 組長 「いや
09 「郷ひろみは腹話術の人形みたいな声で歌う」
だ わかったか?」 政 「は はあ」
【初出】 「週刊少年ジャンプ」(集英社)1983・28号。
【初刊】 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』35巻(集英社ジャンプコミックス、1985)「青春のワーゲンの巻」。
【評釈】
「郷に入っては郷にしたがえ」とは、いっけん物わかりのいい言葉に受け止められよう。が、「郷」という単位じたいが、前近代的なニュアンスを感じさせもする。いまだに地方においては、また都会であっても通りから一歩奥へ入れば、「郷」=地域は息づいていて、「連帯」という共同幻想を喚起させつつも、他方で人を束縛している。
氏がここで、政を諫めようとした内容は、政が先取りしたとおり「郷に入っては郷にしたがえ」のことわざが指すようなことであったのは確かだ。けれども、それをいうために「郷」という前近代的な語を用いることを、あえて氏は避ける。だが、だからといって前近代を否定するために「近代」的なモチーフを取り出してくるというような安直な方策を、氏は取らない。「郷ひろみ」という、ポスト近代的言説にむかったところに、氏の態度と前衛性がよく示されている。
【参考】
○「郷に入っては郷にしたがえ」 (ことわざ)
政 「ボディーガードなしで車に乗せる気か! もしもの事があったらどうすんだ」
組長 「政
10 「山椒は小粒でも高い」
だ さがっておれ!」 政 「へい!」
【初出】同上。
【初刊】同上。
【評釈】
人間、いったん地位をえてしまうと、ともすれば一般の生活感覚が摩耗してしまう。この句は、人生におけるそういった陥穽への、鋭い警句たりえている。
ふつう、山椒はうなぎへのつけあわせとして食卓にのぼる。うなぎを一方においた相対的な価格からいえば、山椒の値段など微々たるものと思われるかもしれないけれども、しかし山椒そのものだけならば、やはり高い買い物にはちがいないのである。
物事を見抜く眼が、そこには確かに息づいていることを私たちは見落としてはならない。
以上ふたつは、<うた>というより、ことわざ・箴言のたぐいのように見えるが、次11ではふたたび詩情あふれた<うた>に回帰する。
【参考】
○「山椒は小粒でもピリリと辛い」 (ことわざ)
(2000/08/30)
うつ前に一句!
11 やれうつな ばっく いんざ ゆーえすえすあーる ぼるしち
【初出】 「週刊少年ジャンプ」(集英社)1985・44号。
【初刊】 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』37巻(集英社ジャンプコミックス、1985)「ラケット&ドスの巻」。
【評釈】
きわめて難解であるけれども、詩情にあふれた句であることその一点は、誰しもが感受しうるところである。
「ばっく」は通例、スポーツ各種と親和性が強い語彙であり、テニスでこれからはじめて球を打つのを記念した句としてふさわしい。
ただし、この句が非凡なのは、「ばっく」がテニスのプレイ上の実体的な何かを指すのではなく、雰囲気・気分だけを喚起させるにとどまり、むしろ「ゆーえすえすあーる ぼるしち」に流れていく、その、意味さえも軽やかに超越していく発想の飛躍の端緒として機能している点である。
01もそうであったが、ソ連(現:ロシア)にまつわる歌語が諸処にみられるのも、氏の詠風の特徴だ。
【参考】
○「やれうつな 蠅が手をする 足をする 」 (『八番日記』・一茶)
○「Back in the U.S.S.R. 」 ( the Beatles )
○ボルシチ (郷土料理)
政「鉄! ドスをもってこい」
組長「政 そのへんにしておけ / ことわざにもあるだろう
12 おぼれる弘法 筆でもつかむ 遠くの親類より近くのサラキン!」
【初出】同上。
【初刊】同上。
【評釈】
一般には、「おぼれる弘法 筆でもつかむ」と「遠くの親類より近くのサラキン!」とにわける解釈でよしとするのが通説だが、語勢からいって、いっきにつなげて読むべきではないかというのが私見である。
危機的な局面において、どうふるまったらいいか。広くは危機管理能力といわれるこの問題について、最も危機と隣り合わせの職業の一つ・やくざの、しかも多くの子分を抱え持って一家を経営・運用していく組長という立場にある氏の、これまでの経験にうらづけられた処世術がこのうたの背後にあること、いくら指摘してもしすぎることはないであろう。
【参考】
○「おぼれる者はワラをもつかむ」 (ことわざ)
○「弘法 筆をえらばず」 (ことわざ)
○「遠くの親類より近くの他人」 (ことわざ)
○「サラ金」 (サラリーマン金融)
【補注】
この会では、高級テニスクラブの会員権を手に入れるために、ジュラルミンケースから札束をどすどす出す組長が見受けられる。資金源などは不明だが、経済的にはそうとう潤沢であるようだ。
(2000/08/31)
*1:(←のしいかさんのご指摘をもとに増補した。2000/09/03)